レジーナ・マリーア (駆逐艦)
NMS レジーナ・マリーア レトゥーチイ | ||
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レジーナ・マリーア | ||
艦歴 | ||
レジーナ・マリーア Regină Maria | ||
起工 | 1928年 パティッソン・ヤード | |
所属 | ルーマニア王国海軍 | |
進水 | 1929年3月2日 | |
竣工 | 1930年 | |
レトゥーチイ Летучий | ||
改称 | 1944年9月14日 | |
所属 | 赤色海軍黒海艦隊 ソ連海軍黒海艦隊 | |
除籍 | 1951年7月3日 | |
レジーナ・マリーア Regină Maria | ||
編入 | 1951年7月3日 | |
所属 | ルーマニア人民共和国海軍 | |
退役 | 1950年代末 | |
除籍 | 1960年代 | |
要目[1] | ||
艦種 | 駆逐艦 | |
艦級 | レジェーレ・フェルディナンド級 | |
排水量 | 1,850 t (満載)/1,400 t(常備) | |
全長 | 101.90 m | |
全幅 | 9.6 m | |
喫水 | 3.5 m | |
機関 | 蒸気タービン2 基 | 44,000 馬力 |
推進 | 2軸 | |
速力 | 36 kn | |
航続距離 | 2,739 浬/13 kn | |
乗員 | 212 名 | |
武装 (1941)[2] | 120 mm 単装砲 | 5 門 |
76.2 mm 単装高角砲 | 1 門 | |
37 mm SK C/30 高角砲 | 2 門 | |
13.2 mm 2連装基 | 2 門 | |
533 mm 3連装魚雷発射管 | 2 門 | |
爆雷投射機 | 2 門 | |
機雷 | 50 門 | |
装甲 | なし |
NMS レジーナ・マリーア(ルーマニア語:Regina Mariaレジーナ・マリーヤ)は、ルーマニア海軍の駆逐艦(Distrugător)である。艦名は、ルーマニア王妃マリアに因む。
概要
[編集]建造
[編集]レジーナ・マリーアは、ルーマニア王国海軍向けのレジェーレ・フェルディナンド級駆逐艦の2番艦としてソーニクロフト社によって設計された。1928年、イタリア・ナポリのパティッソン・ヤードで起工、1929年3月2日に進水、1930年9月に就役した。
艦は、533 mm魚雷発射管6 門を第2煙突と後檣との間に装備していた。また、艦橋前に2 門と、艦中部に1 門、後部に2 門の合わせて5 門の120 mm砲を搭載していた。この他、若干の対空兵装を有していた。射撃管制装置としては、前後の艦橋に測距儀が備え付けられていた。
実戦
[編集]第二次世界大戦中は主に船団護衛に従事した。1941年6月26日、ソ連の嚮導駆逐艦モスクワ、ハリコフによりコンスタンツァ砲撃が行われた際、駆逐艦マラシュティ、アミラル・ムルヂェスクや沿岸砲部隊と共にソ連駆逐艦に対し砲撃を行った。この戦闘中にモスクワは爆沈した[3]。
レジーナ・マリーアは1941年11月4日にソ連の潜水艦M-58を撃沈した[4]。
1944年8月29日、コンスタンツァにあったレジーナ・マリーアは侵攻してきた赤軍によって捕獲された。9月14日にルーマニアが降伏するとレジーナ・マリーアは戦利艦として正式にソ連の所有物となり、赤色海軍黒海艦隊に編入された。同時に、艦名は「空飛ぶ」という意味のロシア語の形容詞からレトゥーチイ(Летучий)と改称された。
返還
[編集]レトゥーチイは1951年7月3日付けでソ連海軍を除籍され、ルーマニアに返還された。かつての王政は倒されていたにも拘らず、艦名は元のレジーナ・マリーアに戻された。1950年代末に退役、1960年に除籍された。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946, p. 361
- ^ Jipa Rotaru, Ioan Damaschin, Glorie și dramă: Marina Regală Română, 1940-1945, Ion Cristoiu Publishing, 2000, p. 255
- ^ 原因は触雷。ただし、ソ連潜水艦による雷撃説もある。
- ^ John Smillie, World War II Sea War, Vol 4: Germany Sends Russia to the Allies, p. 389