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レナト・ジルネイ・フロレンシオ・サントス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レナト
サントス時代のレナト (2017年)
名前
本名 レナト・ジルネイ・フロレンシオ・サントス
Renato Dirnei Florêncio Santos
ラテン文字 RENATO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1979-05-15) 1979年5月15日(45歳)
出身地 サンタ・メルセデス
身長 178cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF (DMF, CMF)
利き足 右足
ユース
ブラジルの旗 グアラニ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000 ブラジルの旗 グアラニ 34 (8)
2000-2004 ブラジルの旗 サントス 128 (26)
2004-2011 スペインの旗 セビージャ 204 (39)
2011-2014 ブラジルの旗 ボタフォゴ 86 (7)
2014-2018 ブラジルの旗 サントス 114 (8)
代表歴
2003-2005 ブラジルの旗 ブラジル 27 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年シーズン終了現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レナト(Renato)こと、レナト・ジルネイ・フロレンシオ・サントス(Renato Dirnei Florêncio Santos、1979年5月15日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンタ・メルセデス出身の元サッカー選手カンピオナート・ブラジレイロサントスFCのフットボール・ディレクター。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。展開力に優れたボランチであったが、チーム事情によりトップ下やフォワードとしてプレーしたこともあった[1]。「ヘナット」「レナチーニョ」と表記されることもある。

経歴

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クラブ

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ブラジルのグアラニFCサントスFCでプレーし、25歳の時にリーガ・エスパニョーラセビージャFCに移籍した。2004年8月29日のアルバセテ・バロンピエ戦(1-0)の後半開始すぐに途中出場してデビューし、初得点となる決勝点も決めた。2005-06シーズンと2006-07シーズンのUEFAカップでは合わせて16試合に出場し、チームは大会2連覇を果たした。レナトは2006-07シーズンの同大会準決勝CAオサスナ戦セカンドレグ(2-0)で、2試合合計で勝ち越しとなる重要な得点を決めている。また、2シーズン連続で決勝に出場している。2008-09シーズンは終盤までリーグ優勝を争ったチームで32試合に出場して8得点しているが、このうちの4得点は2008年12月から2009年1月にかけての1ヶ月の間に決めたものである。得点した試合はアウェーでのレアル・マドリード戦(4-3)、ホームでのビジャレアルCF戦(1-0)、アウェーでのデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦(1-3)、ホームでのCDヌマンシア戦(1-0)であり、4点のうち3点を勝利に結びつけている。2009-10シーズンにはセビージャFC生え抜きのヘスス・ナバスに次いで在籍期間の長い選手となり、2010年5月28日には2012年6月までの1年間の契約延長に合意した[2]。2011年3月1日のエルクレスCF戦に出場して、セビージャFCでの公式戦の通算出場試合数が279試合となり、1960年代に活躍したイグナシオ・アチュカロ英語版の外国人最多出場記録を抜りかえた[3]

2011年5月26日にセビージャとの契約を解除し、ボタフォゴFRと3年契約を結んだことが発表された[4]

2014年5月13日、サントスへ復帰した。

2018年9月18日に、契約満了まで選手としても行動しながら、サントスのフットボール・ディレクターになることが発表された。同年11月24日に現役引退を発表した。

代表

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2003年にブラジル代表デビューし、カルロス・アルベルト・パレイラ監督のお気に入りの選手となった。2004年のコパ・アメリカ2004ではチームの全6試合に出場して優勝し、2005年の2005 FIFAコンフェデレーションズカップでは5試合に途中出場し、やはりタイトルを勝ち取った。2006 FIFAワールドカップ・南米予選にも招集されていたが、本大会にはジウベウト・シウヴァが登録され、レナトは選出されなかった。2006年に就任したドゥンガ監督はエラーノなどを好み、以後は招集されていない。

タイトル

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クラブ

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サントスFC
セビージャFC
ボタフォゴFR

代表

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ブラジル代表

個人

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脚注

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外部リンク

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