レネ・ペティト
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名前 | ||||||
本名 | レナト・ペティト・デ・オリー | |||||
愛称 | レネ・ペティト | |||||
ラテン文字 | Renato Petit de Ory | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フランス スペイン | |||||
生年月日 | 1899年10月8日 | |||||
出身地 | ダクス | |||||
没年月日 | 1989年10月14日(90歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
レネ・ペティトことレナト・ペティト・デ・オリー(Renato "René" Petit de Ory, 1899年10月8日 - 1989年10月14日)は、フランス・ダクス出身のサッカー選手。
経歴
[編集]フランス人の父親とスペイン人の母親の間に生まれる。マドリードFCのリザーブチームに加入し、14歳でトップチームデビューした。15歳の頃には、すでにレネはマドリードFCのスター選手の一人となっていた。レネが所属している間、マドリードFCは2度コパ・デル・レイ決勝まで駒を進め、1917年には同タイトルを獲得した。レネはマドリードFCで29試合に出場して13得点を記録した。
1917年にレアル・ウニオンへと移り、1918年に決勝で古巣マドリードFCを破って2年連続でコパ・デル・レイを手にした。その後も1924年、1927年と2度コパ・デル・レイを獲得。また、アントワープオリンピックにも出場し、準決勝進出を果たした。1933年に現役を引退した。
エピソード
[編集]兄であるフアン・ペティトもマドリードFCに所属していたが、1917年のコパ・デル・レイ決勝直前にフランス軍に加入。第一次世界大戦で怪我を負い、そのままサッカー選手としてのキャリアを終えた。
タイトル
[編集]- コパ・デル・レイ - 1917, 1918, 1924, 1927
- マドリード州選手権 - 1916, 1917
- ギプスコア県選手権 - 1920, 1921, 1922, 1924, 1926, 1928, 1930, 1931