レムコ=ルシン人民共和国
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- レムコ=ルシン人民共和国
- Ruska Narodna Respublika Lemkiv
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← 1918年 - 1920年 → (国旗) -
公用語 レムコ語 首都 フロリンカ - 大統領
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1918年 - 1920年 ヤロスラフ・カチマルチク - 変遷
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独立宣言 1918年12月5日 ポーランドに解体され消滅 1920年3月
レムコ=ルシン人民共和国(レムコ=ルシンじんみんきょうわこく、レムコ語: Ruska Narodna Respublika Lemkiv)は、第一次世界大戦後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国から独立した国家である[1]。単にレムコ=ルシン共和国、レムコ共和国とも呼ばれる。
この国家は、1918年11月から翌年1月23日までレムクィウシチナ (uk) 東部に存在した親ウクライナ派の短命国家、コマンチャ共和国と混同されることがある。
歴史
[編集]1918年12月5日、現在のポーランド南東部に位置するフロリンカ村 (pl) を中心にして創設された。この国家は親ロシア主義に基いて西ウクライナ人民共和国との連帯を拒否し、ロシアの民主主義勢力と接近した。しかしロシアとの連合が破綻したため、今度はチェコスロヴァキアの自治州としてカルパティア・ルテニアに加わることを試みた。だがこの試みはカルパティア・ルテニア知事のグリゴリー・ジャトコヴィチによって拒否された。
中央国民評議会は大統領のヤロスラフ・カチマルチクによって指導されていたが、1920年3月にポーランド政府によって解体された。その後、サン=ジェルマン条約とポーランド・ソビエト・リガ平和条約によりガリツィアのサン川西岸がポーランドに割譲されたことで[2]、国家は完全に消滅した。
布告
[編集]1918年12月5日の布告において共和国政府は次のように述べた。
脚注
[編集]- ^ Magocsi, Paul Robert (1993). “The Ukrainian question between Poland and Czechoslovakia: The Lemko Rusyn republic (1918-1920) and political thought in western Rus'-Ukraine”. Nationalities Papers 21 (2): 95–103. doi:10.1080/00905999308408278.
- ^ Magocsi, Paul Robert (1993, 2002). “Central Europe 1918-1923”. Historical Atlas of Central Europe. A History of East Central Europe. 1 (revised and expanded ed.). Seattle: University of Washington Press. p. 127. ISBN 0-295-98146-6. OCLC 47097699
- ^ Horbal, Bogdan (1997) (Polish). Działalność polityczna Łemków na Łemkowszczyźnie 1918-1921 [Political activity of the Lemkos in Lemkivshchyna 1918-1921]. Wrocław: Wydawn Arboretum. p. 45. ISBN 978-83-86308-22-4. OCLC 37645527
外部リンク
[編集]- History of the Lemko-Rusyn Republic
- Paul R. Magocsi article on the Lemko Republic
- Ćmiech, Andrzej (14 November 2008). “Państwo w państwie Ruska Ludowa Republika Łemków”. Gazeta Gorlicka 24 May 2010閲覧。