レモンフーリガン
レモンフーリガンは、日本のロックバンド。 オロチレーベル所属。
概要
[編集]1998年初夏、リーダーの社長が地元CATVに持っていた番組「ロック大学」内の企画バンドとして結成。略称は「レモフー」
その後、大槻ケンヂが主催するインディーズレーベル「UGS」に参加、1999年10月にはDRIVE TO 2000に出演。特撮に曲を提供するなど活動した。
2003年11月、解散。
大槻ケンヂも認めた実力を持ち、ライブハウスのスタッフや対バンには絶賛されるものの、人気は出ることなく解散を迎えてしまった悲運のミュージシャンズ・ミュージシャン。
メンバー
[編集]旧メンバー
[編集]ディスコグラフィー
[編集]- レモンフーリガン1
- レモンフーリガン2
- レモンフーリガン8
- レモンフーリガン13
- レモンフーリガン1・2合体盤
- レモンフーリガン5
- レモンフーリガン7
- レモンフーリガン9
提供
[編集]- 『キャラメル』(詞:メーテル 曲:社長) 『爆誕』(特撮)に収録
- 『愛の木星』(詞:メーテル 曲:社長) 『ヌイグルマー』(特撮)に収録
- 『爆弾ピエロ』(詞:メーテル) 『ヌイグルマー』(特撮)に収録
エピソード
[編集]大槻ケンヂのインディーレーベル・UGS発足記念のデモテープ募集に、「冗談で送ったら(大槻ケンヂから)電話がかかってきた」(メーテル)と、『ロック大学』というコーナーを持っていた地方CATVで語っている。
「大槻ケンヂののほほん学校/ロフトプラスワン」出演が初ライブとなり、大槻ケンヂファンに絶賛される。この日に対バンしたソロパフォーマー・人間パーカッション(猪熊猛)と交流が生まれ、東京ライブのブッキングを多く任せることになる。
のほほん学校の次の東京ライブ・原宿ロサンゼルスクラブでは、対バンやその観客のハートをつかみ、デモテープ完売。会場に次のライブを問い合わせる電話が殺到したという。
人気が出なかった理由として、人間パーカッションは自身のHPの中で、「人間パーカッションに任せとけば東京は安心、と思わせてしまったような気がする。意欲を削いでしまったというかね。半年に一回しか呼べない貧乏なニワカアーティストと出会ってしまったことが、彼らの不幸だった。自分たちで積極的に東京ライブをやっていれば、いい対バンとどんどん出会い、運命は変わっていただろう。その意欲を削いでしまった」と、東京でのライブの少なさを挙げ、責任を感じていると発言している。 しかしギターのらいむさんは自身のブログの中で、「人気があったのは大槻ケンヂの熱狂的信者だけ。そんな信者が、教祖様(=大槻ケンヂ)が褒めたバンドをけなすわけがない」と、回顧・分析している。
リーダーである社長は世界的な初代ファミコンのコレクター・評論家であり、雑誌に登場したこともある。
大槻ケンヂはレモンフーリガンを平成のあぶらだこと評した。しかし、メンバーはあぶらだこを知らなかった。
特撮のギター・NARASAKIは、メーテルに「車の中でレモフー聞いてるよ」と言った。