ロジャー・ヤングのバラード
ロジャー・ヤングのバラード(The Ballad of Rodger Young)は、アメリカの軍歌。フランク・レッサーによって第二次世界大戦末期の1945年3月に発表された。1943年7月31日、日本軍の機銃陣地を攻撃する際に戦死した[1]ロジャー・ウィルトン・ヤング一等兵を題材としており、歌詞の内容はヤングが死後追贈された名誉勲章の勲記に沿ったものである。
作曲の経緯
[編集]レッサーは陸軍放送局に所属する一等兵だった頃に『ロジャー・ヤングのバラード』を作詞した。
陸軍放送局ではハリウッドのタレントやスタッフ、そして専属のオーケストラを用いて1日2回の志願兵募集番組を作成・放送しており[2]、レッサーの任務は募集歌の作詞・作曲であった[3].[4]。
レッサーがどのような経緯でこの歌を作成したのかは明らかになっていない[5]。いくつかの文献では、彼の娘の言うところの「何らか『歩兵の歌』に相応しいもの」を陸軍が要求した為に作曲にあたったとされているが、一方でレッサーの友人でもある歩兵科広報官E・J・カーン・ジュニアからの要求が作曲の発端とする文献もある[6][7]。
いずれにせよ歩兵に関する歌を作る事になったレッサーは、名誉勲章受賞者を題材にする事に決め、受章者一覧を取り寄せている[8]。 多くの「やたら扱いにくい"るつぼ"の名前」を除外した後[7]、彼は「実にWASPらしい名前」、すなわち「ロジャー・ウィルトン・ヤング」の名を発見した[9]。しかし名前で選んだという理由は政治的にも非常に聞こえが悪いとされ、陸軍とレッサーは「友人のハーモニカ奏者ラリー・アドラーからヤングに関する物語を聞かされた」という架空の作曲理由を設ける事で同意した[2][8]。
発表と評判
[編集]こうして作曲された『ロジャー・ヤングのバラード』は、アール・ライトソンがギター伴奏に乗せて歌ったものが1945年初頭にメレディス・ウィルソンの番組で初めて放送された[10]。当初は商業的な成功をおさめる曲ではないと見なされ、唯一バール・アイヴスのレコード『The Foggy, Foggy Dew』のB面に収録された[11]。広報歌という性質上、何らかのチャートにその名を載せる事は無く、当時の人気を具体的に証明する者は存在しない[11][12]。
しかしその後、この曲は広く紹介される事となり、これをウィリアムとナンシー・ヤングは「長らく求められていた後援」と評した[12]。1945年3月5日のLIFE誌は、111ページから117ページまでを『ロジャー・ヤングのバラード』の紹介に割き、陸軍では演奏のためにコンバット・インファントリ・バンド(Combat Infantry Band)を結成した[12][13]。1949年にロジャー・ヤングの遺骨が帰国すると、再びこの歌への関心が高まり、同年には高い売上を記録したという[10]。
その後、いくらかの作家や作曲家によってこの曲は戦中戦後を通じて人気のあった曲として紹介されるようになった。例えばジョン・ブッシュ・ジョーンズ(John Bush Jones)は、この曲を「一つの感動」、「単純ながら影響強い曲」[13]、「当時のアメリカ人に大きな衝撃を与えた」などと評している[11]。M・ポール・ホルシンガー(M. Paul Holsinger)は、ライトソンによる録音が戦時中に最も求められた曲の1つになったと評しており、また陸軍バンドの団員フランク・F・マティアス(Frank F. Mathias)は、その後この曲がアメリカ歩兵によって「最も愛されるテーマ」になったと語っている[14]。
歌詞
[編集]以下の歌詞はLIFE誌に掲載されたものを元にしている[15]。
元歌詞
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日本語訳
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参考文献
[編集]- Fussell, Paul (1990). Wartime: understanding and behavior in the Second World War. Oxford University Press US. p. 185. ISBN 978-0-19-506577-0
- Holsinger, M. Paul (1999). War and American popular culture: a historical encyclopedia, Volume 1998. Greenwood Publishing Group. p. 233. ISBN 978-0-313-29908-7
- Jones, John Bush (2003). Our musicals, ourselves: a social history of the American musical theater. UPNE. p. 127. ISBN 978-0-87451-904-4
- Jones, John Bush (2006). The songs that fought the war: popular music and the home front, 1939-1945. UPNE. pp. 157–159. ISBN 978-1-58465-443-8
- Loesser, Susan (2000). A most remarkable fella: Frank Loesser and the guys and dolls in his life: a portrait by his daughter. Hal Leonard Corporation. pp. 51. ISBN 978-0-634-00927-3
- Marmorstein, Gary (1997). Hollywood Rhapsody: Movie Music and its Makers, 1900 to 1975. Schirmer Books. p. 181. ISBN 978-0-02-864595-7
- Mathias, Frank F. (2000). GI Jive: An Army Bandsman in World War II. University Press of Kentucky. p. 87. ISBN 978-0-8131-9009-9
- Riis, Thomas Laurence (2008). Frank Loesser. Yale University Press. p. 7. ISBN 978-0-300-11051-7
- Young, William H.; Young, Nancy K. (2008). American history through music: Music of the World War II era. Greenwood Publishing Group. p. 22. ISBN 978-0-313-33891-5
脚注
[編集]- ^ “Medal of Honor Recipients: World War II (T-Z): YOUNG, RODGER W.”. U.S. Army Center Of Military History. 3 July 2010閲覧。
- ^ a b Riis, p. 7.
- ^ “Loesser writes for Infantry”. LIFE magazine: p. 117. (5 March 1945) 2 July 2010閲覧。
- ^ Steinblatt, Jim. “Luck be a Lyric”. ASCAP. 3 July 2010閲覧。
- ^ Jones (2006), p. 158, notes that it is "shrouded in ... legends" who asked Loesser to write it.
- ^ Jones (2006), p. 158
- ^ a b Marmorstein, p.181.
- ^ a b Loesser, p. 51.
- ^ “Bargepole”. Punch vol. 293: p. 38. (1987年)
- ^ a b Holsinger, p. 233
- ^ a b c Jones (2003), p. 127
- ^ a b c Young, p. 7
- ^ a b Jones (2006), p. 159
- ^ Mathias, p. 87
- ^ LIFE, 5 March 1945, p. 117. Because it was written on an Army commission while Loesser was enlisted as a song writer in the U.S. armed forces, the lyrics are reproduced here in full on the assumption that the song is in the public domain as a work of the U.S. government.
外部リンク
[編集]- "Big Picture: Operation Discovery" - アメリカ陸軍の広報映画。駐屯地での暮らしや訓練を紹介する内容で、兵士がロジャー・ヤングのバラードを歌うシーンがある。また何箇所かのBGMにも使用されている。