ロジーナ・マントヴァーニ・グッティ
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ロジーナ・マントヴァーニ・グッティ Rosina Mantovani Gutti | |
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自画像 | |
生誕 |
1851年1月 ローマ |
死没 |
1943年2月 ローマ |
ロジーナ・マントヴァーニ・グッティ(Rosina Mantovani Gutti、1851年1月 – 1943年2月)はイタリアの画家である。女性や子供の絵を描いた。
略歴
[編集]ローマで生まれた。父親のアレサンドロ・マントヴァーニ(Alessandro Mantovani: 1814–1892)はフェラーラの出身で1835年にローマに移ってきて宮殿の装飾画を描いた画家であり、父親から絵を学んだ。特にデッサンやパステル画、水彩画の技術に習熟し、人物画、特に女性と子供を描いた作品を制作した[1].。
ロジーナ・マントヴァーニ・グッティはロンドンで活動し、フランクフルト・アム・マインに長く滞在した後、20世紀の初めからパリに住んだ。
1899年にトリノの展覧会に何点かのパステル画を出展し、1905年の5月に2週間ほどパリの画廊(Henri Graves Gallery)で個展を開いた[2]。1905年にイギリスで出版された200人の女性画家と女性画家の作品を掲載した「Women Painters of the World」(ウォルター・ショー・スパロー著)にもグッティは掲載された。この本に掲載された作品である「The Peacemaker」は後にオーストラリアで第一次世界大戦の戦時公債募集のポスターのデザインに用いられた。
1937年にベルリンで開催された「1800年から現代までのイタリア美術の展覧会」に出展する画家の一人にも選ばれた。
1943年にローマで亡くなった。娘のエマニュエラ・ファブリコッティ(Emanuela Fabbricotti Gutti)も画家になった。
作品
[編集]-
若い女性の肖像画 (1888)
-
Chasseloup-Laubat侯爵夫人と娘たち
脚注
[編集]参考文献
[編集]- « Profili di artisti: Rosina Mantovani Gutti », La Vita italiana: rivista illustrata, Tip. della Camera dei deputati, vol. 5, 1895, p. 75 (lire en ligne [archive])
- Agostino Mario Comanducci, Dizionario illustrato dei pittori, disegnatori e incisori italiani moderni e contemporanei, t. 3 : Gam-Mons, Milano, Patuzzi, 1972, 4e éd.Document utilisé pour la rédaction de l’article