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ロッド・ペリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロッド・ペリー
Rod Perry
オレゴン州立大学
ディフェンシブバックコーチ
ポジション コーナーバック
生年月日 (1953-09-11) 1953年9月11日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州フレズノ
身長: 5' 9" =約175.3cm
体重: 178 lb =約80.7kg
経歴
大学 コロラド大学
NFLドラフト 1975年 / 4巡目全体98位
初出場年 1975年
初出場チーム ロサンゼルス・ラムズ
所属歴
選手歴
1975-1982 ロサンゼルス・ラムズ
1983-1984 クリーブランド・ブラウンズ
コーチ歴
1985 コロンビア大学
1986 フレズノシティカレッジ
1987-1988 フレズノ州立大学
1989-1991 シアトル・シーホークス
1992-1994 ロサンゼルス・ラムズ
1995-1996 ヒューストン・オイラーズ
1997-2001 サンディエゴ・チャージャーズ
2002-2006 カロライナ・パンサーズ
2007-2011 インディアナポリス・コルツ
2012- オレゴン州立大学
受賞歴・記録
プロボウル選出(2回)
1978、1980
NFL 通算成績
インターセプト 30回
リターンTD 4回
ファンブルリカバー 6回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ロッド・ペリー(Rod Perry 1953年9月11日- )はカリフォルニア州フレズノ出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはコーナーバック

経歴

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選手時代

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フレズノシティカレッジからコロラド大学に編入、最終学年にビッグ・エイト・カンファレンスのオールチーム及びオールアメリカンに選ばれた[1]

1975年NFLドラフト4巡でロサンゼルス・ラムズに指名された。1978年1980年プロボウルに選出された。

1979年シーズン、チームは第14回スーパーボウルに進出、彼も先発出場している[1]。この試合で彼は第4Q、ラムズが19-17でリードし、ピッツバーグ・スティーラーズの第3ダウン8ヤード、敵陣27ヤードからのプレーで、ストロングセイフティがアウトサイドのレシーバーをマークしたことから、身長では5インチ高いジョン・ストールワースと1対1になり、自陣34ヤード地点でのレシーブを許し、そのまま34ヤードを走られ、73ヤードの逆転TDレシーブを許した[2]。さらに自陣22ヤードまで攻め込まれた後、パスインターフェアランスの反則で21ヤードの罰退となり、続くプレーでフランコ・ハリスに1ヤードのTDランを許し、チームは19-31で敗れた[3]

ラムズでは1982年までプレーし、28インターセプトをあげた。彼はラムズの40周年記念チームに選ばれている[4]

1983年1984年クリーブランド・ブラウンズでプレーし、2インターセプトをあげた[4]

コーチ時代

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現役引退後、1985年にコロンビア大学のコーチに就任、1986年には母校のフレズノシティカレッジのコーチとなった。1987年、1988年はフレズノ州立大学のコーチを務めた[1]

シアトル・シーホークス1989年-1991年)でNFLコーチのキャリアをスタート、ロサンゼルス・ラムズ(1992年-1994年)、ヒューストン・オイラーズ1995年-1996年)、サンディエゴ・チャージャーズ1997年-2001年)、カロライナ・パンサーズ2002年-2006年)、インディアナポリス・コルツ2007年から2011年)でセカンダリーコーチ、ディフェンシブバックコーチなどを務めた[1]

オイラーズのコーチ時代の1995年にはダリル・ルイスブレイン・ビショップがプロボウルに選ばれた。チャージャーズのコーチ時代の1998年、トータルディフェンスで1位、ロドニー・ハリソンがプロボウルに選ばれた。2001年にはハリソンとライアン・マクニールがプロボウルに選ばれた[4]

パンサーズのコーチに加入して最初の2シーズン、チームのコーナーバックはNFL全チーム中唯一2人ともドラフト外入団選手であったがパスディフェンスで2シーズンとも10位以内に入った。2004年にチームはフランチャイズ記録となる26インターセプトをあげた。また2006年にはパスディフェンスでNFC2位、NFL4位の成績を残した。パンサーズに在籍した5シーズン、チームはリーグトップの96インターセプトをあげた[4]

コルツのコーチ時代は2007年にチームはトータルディフェンスで1971年以来最高の3位[4]、彼の指導を受けたボブ・サンダースAP通信から最優秀守備選手に選ばれた[1]2008年、コルツのパスディフェンスはスターターで全16試合出場したのはアントワン・ベゼアだけで、故障のためマーリン・ジャクソンが7試合、ボブ・サンダースが6試合、ケルビン・ヘイデンが10試合の出場にとどまり、ティム・ジェニングスが12試合、メルビン・ブリットが9試合で先発したが、トータルディフェンスでリーグ11位、パスディフェンスではリーグ6位、さらにNFL記録となる6TDパスしか許さなかった(それまでの記録は1978年デンバー・ブロンコス1980年ピッツバーグ・スティーラーズがマークした9TD)[4]

2012年、オレゴン州立大学のセカンダリーコーチに就任した[1]

家族

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息子のロドニー・ペリーは、2001年のMLBドラフト12巡でフィラデルフィア・フィリーズに指名された[1][5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g Oregon State hires Rod Perry as secondary coach”. Oregonian Sports (2012年2月14日). 2014年1月12日閲覧。
  2. ^ Thomas Bonk (1993年1月27日). “Super Bowl XXVII : THROUGH THE YEARS : Footnotes To History : XIV : JOHN STALLWORTH : PITTSBURGH STEELERS”. ロサンゼルス・タイムズ. 2014年1月12日閲覧。
  3. ^ Joe Belock (2013年12月30日). “Super Bowl XIV: Steelers and John Stallworth bring down Rams”. ニューヨーク・デイリーニューズ. 2014年1月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f BIO”. インディアナポリス・コルツ. 2011年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月12日閲覧。
  5. ^ 2001 Draft -- June Amateur Draft”. mlb.mlb.com. 2014年1月12日閲覧。

外部リンク

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