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ロバート・ディグビー (第3代ディグビー男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第3代ディグビー男爵ロバート・ディグビー英語: Robert Digby, 3rd Baron Digby1654年4月30日1677年12月29日)は、イングランド王国の政治家、アイルランド貴族。1677年に庶民院議員に当選したが、一度も登院しないまま同年に死去した[1]

生涯

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第2代ディグビー男爵キルデア・ディグビーと妻メアリー(Mary、旧姓ガーディナー(Gardiner)、1692年12月23日没、ロバート・ガーディナーの娘)の次男(長男ロバートは1653年4月22日に生まれ、7月11日に夭折)として、1654年4月30日に生まれた[2]。1661年7月11日に父が死去すると、ディグビー男爵位を継承[2]、同時にコーゾル英語版の地所やアイルランドでの領地(両者合わせて年収約3,500ポンドを得られる)を継承した[1]。1670年11月6日にオックスフォード大学モードリン・カレッジに入学した[3]。1673年から1676年まで海外を旅した後[1]、1676年7月11日にM.A.の学位を修得した[3]

1677年5月、第5代ブルック男爵フルク・グレヴィルの支持を得てウォリック選挙区英語版から出馬、当選を果たした[4]。しかし、ディグビー男爵は議会に一度も登院しないまま[1]、1677年12月29日に死去、コーゾルで埋葬された[2]。生涯未婚であり、弟サイモンが爵位を継承した[2]

出典

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  1. ^ a b c d Mimardière, A. M. (1983). "DIGBY, Robert, 3rd Baron Digby of Geashill [I] (1654-77), of Coleshill, Warws.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 354.
  3. ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). "Dabbe-Dirkin". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 366–405. British History Onlineより。
  4. ^ Mimardière, A. M.; Moseley, Virginia C.D. (1983). "Warwick". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年7月31日閲覧
イングランド議会 (en
先代
フルク・グレヴィル閣下
サー・フランシス・コンプトン英語版
庶民院議員(ウォリック選挙区英語版選出)
1677年
同職:サー・フランシス・コンプトン英語版
次代
サー・フランシス・コンプトン英語版
サー・ジョン・ボウヤー準男爵英語版
アイルランドの爵位
先代
キルデア・ディグビー
ディグビー男爵
1661年 – 1677年
次代
サイモン・ディグビー