ロビー・バックマン

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ロビー・バックマン
ロビー・バックマン(1974年撮影)
基本情報
出生名 ロビン・ピーター・ケンドール・バックマン
別名 ロブ・バックマン
生誕 (1953-02-18) 1953年2月18日
出身地 カナダの旗 カナダ
マニトバ州 ウィニペグ
死没 2023年1月12日(2023-01-12)(69歳)
職業 ドラマー
活動期間 1971年-2004年
共同作業者 ブレイヴ・ベルト英語版
バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ

ロビン・ピーター・ケンドール・バックマンRobin Peter Kendall Bachman1953年2月18日 - 2023年1月12日)はカナダ出身のドラマー

ギタリストシンガーソングライターランディ・バックマン英語版の弟である。彼はバンドブレイヴ・ベルト英語版バックマン・ターナー・オーヴァードライヴのオリジナルドラマーであった。ブレイヴ・ベルトとバックマン・ターナー・オーヴァードライヴのアルバムのライナーノーツには「ロビー」もしくは「ロブ」と明記されていた。

経歴[編集]

成長期、バックマンは自宅でドラムを練習していて、兄のランディと一緒によく演奏していた。1971年、ランディが当時18歳だった弟のロビーにブレイヴ・ベルトのドラマーとしての仕事を提案し、ロビーは兄からの提案を受け入れた[1]。ブレイヴ・ベルトのメンバーには他にチャド・アラン英語版フレッド・ターナー英語版がいた。1972年、メンバーのアランが脱退した後にロビーのもう1人の兄であるティム・バックマン英語版が加入した。

ブレイヴ・ベルトからバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(BTO)に改名した1973年、ロビーはBTOの楽器ロゴをデザインしたことでクレジットされた[2]。1973年から1976年にかけて人気絶頂期を迎えたBTOはリリースした5枚のアルバム、6枚のシングルがそれぞれアルバム売上トップ40と米国アルバム売上トップ40にランクインし、カナダでは11枚のシングルがシングル売上トップ40にランクインした。ロビーはバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ最大のヒット曲である「ロールオン・ダウン・ザ・ハイウェイ英語版」(米国のBillboard Hot 100:1975年第14号とカナダの音楽雑誌『RPM』:1975年第4号)においてフレッド・ターナーと共同で作詞を担当した。1979年に発売されたアルバム「ロックンロール・ナイツ英語版」を引っ提げて行われたライブツアーの後、ロビーは1979年の終わりまでBTOに残った[3]

ロビーは兄のランディとのライセンス問題が原因で、1984年に再結成したBTOへの参加を辞退した[4]。またブレア・ソーントン英語版の代わりとなる2人目のギタリストとしてティム・バックマンを加入させるとしたランディの決定にも反対した。結局は1984年に発売されたアルバム「BTO英語版」で交代させられ、ゲス・フーの元ドラマーであるギャリー・ピーターソン(Garry Perterson)がサポートメンバーとしてライブツアーに参加した。のちにロビーは1988年から1991年まで続く再結成ツアーでラインアップされたBTOの「ノット・フラジャイル英語版」で再加入した。それは奇しくもランディ・バックマンがバンドを脱退した後のことであった。後任のギタリスト/ボーカルのランディ・マレー英語版を加えたロビーと残りのメンバーは2004年の終わりまでBTOのメンバーとしてライブツアーを行った[5]。このライブツアー構成で紹介された新曲は1996年に発売されたアルバム「Trial By Fire: Greatest & Latest」にのみ収録されている[6]

2009年、再結成したフレッド・ターナーとランディ・バックマンは新しいアルバムのレコーディングを開始し、ワールドツアーに合わせて「バックマン & ターナー」という題名で2010年9月にリリースされた。バックマン・ターナー、或いはBTOという名前を拝したライブツアーからランディとターナーを除外させるために、ロビン・バックマンとブレア・ソーントンはランディ・バックマンに対して訴訟を起こした[要出典]

2014年3月29日、ロビーとバックマン・ターナー・オーヴァードライヴの曲である「ノット・フラジャイル」はカナダ音楽殿堂入りを果たした[7]

私生活と死[編集]

2004年に行われたBTOのラストライブを最後に隠居生活に入った。ミュージシャンのタル・バックマンの叔父であった。

2023年1月12日、バックマンは69歳で没した。彼は妻のクリッシーに先立たれている[8][9][10]。死亡の原因が特定されないまま、バンド仲間である兄のランディ・バックマンによりロビーの死が確認された[11][12]

脚注[編集]

  1. ^ Gormley, Peter. 'BTO (Bachman-Turner Overdrive) Frequently Asked Questions' Archived April 4, 2019, at the Wayback Machine. – "7/31/97"
  2. ^ 'Robin Bachman Interview' – "XMFan.com"
  3. ^ Heatley, Michael (2016年12月17日). “From rags to riches and back: The turbulent story of Bachman-Turner Overdrive”. loudersound.com. 2023年1月16日閲覧。
  4. ^ Peacock, Tim (2023年1月13日). “Robbie Bachman, Bachman-Turner Overdrive Drummer, Dies Aged 69”. uDiscovermusic. オリジナルの2023年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230113182230/https://www.udiscovermusic.com/news/robbie-bachman-bachman-turner-overdrive-dies-69/ 2023年1月13日閲覧。 
  5. ^ Bachman-Turner Overdrive Concert History”. concertarchives.org. 2023年1月16日閲覧。
  6. ^ Trial by Fire: Greatest & Latest”. allmusic.com. 2023年1月16日閲覧。
  7. ^ Bachman-Turner Overdrive - Canadian Music Hall of Fame. Canadianmusichalloffame.ca. Retrieved on January 16, 2023.
  8. ^ Robbie Bachman, Drummer of Bachman-Turner Overdrive, Dead at 69”. consequence.net (2023年1月12日). 2023年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月13日閲覧。
  9. ^ “Bachman-Turner Overdrive co-founder Robbie Bachman dead at 69”. United Press International. (2023年1月13日). オリジナルの2023年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230113181336/https://www.upi.com/Entertainment_News/Music/2023/01/13/robbie-bachman-bto-dies/8711673622842/ 2022年1月13日閲覧。 
  10. ^ Bloom, Madison (2023年1月13日). “Robbie Bachman, Drummer and Co-Founder of Bachman-Turner Overdrive, Has Died” (英語). Pitchfork. 2023年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月13日閲覧。
  11. ^ hollywoodbriefs (2023年1月14日). “Robbie Bachman Cause of Death, Bio, Age, Parents, Siblings, Wife, Children -” (英語). 2023年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月14日閲覧。
  12. ^ Sainii, Aditya (2023年1月14日). “Robbie Bachman Cause of death, Bio, Age, Parents, Siblings, Wife, Children.”. Hollywood Briefs. 2023年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月14日閲覧。

外部リンク[編集]