ロベール・リナン
ロベール・リナン Robert Lynen | |
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生年月日 | 1920年5月24日 |
没年月日 | 1944年4月1日(23歳没) |
出生地 | ジュラ県サローニャ |
死没地 | カールスルーエ |
国籍 | フランス |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1932年 - 1942年 |
配偶者 | あり |
主な作品 | |
『にんじん』 |
ロベール・リナン (仏:Robert Lynen、1920年5月24日 - 1944年4月1日) は、フランスの男優。名子役として活躍したが、成年後にレジスタンス運動に身を投じ、ナチスにより処刑された。
経歴
[編集]出生、子役として
[編集]ロベール・リナンは父親が画家、母親が歌手でピアニストという芸術家一家に生まれ、両親が動物を飼育していたジュラ県の農場で幼少期を過ごした。 1923年に家族はパリに移り、父親は製図工となった。 ロベールはエコール・デュ・スペクタクル在学中にジュリアン・デュヴィヴィエによって12歳でスカウトされ、映画『にんじん』の主役に抜擢された。ロベールはこの作品の成功によってフランス映画の子役スターとなり、1934年、エクトール・アンリ・マロ作の『家なき子』でレミの役を演じ、1937年にはロバート・シオドマク監督の『モレナール』、レオポール・シモン監督の『詐欺師』に出演。1938年、モーリス・クローシュ監督の『人生は美しい』に出演、アルフォンス・ドーデ作の『 小さなこと』では主役を演じ、『プリンスの教育』でルイ・ジューヴェと共演した。
レジスタンス活動と死
[編集]1940年、20歳のロベールはウィリー・ロジェ監督の『エスポア』に出演したのちレジスタンス運動に加わり、ヴィシー政権のユースキャンプに向かった。1941年、ロベールは劇場巡演のかたわら、ジャン=ポール・ポーラン監督の映画『Cap au large』に出演。これが彼の最後の映画作品となった。
ロベールは、トゥーロンの幹部によってレゾー同盟に採用され[1]、「L'Aiglon」(レグロン、フランス語で若鷲の意味)のコード・ネームでブリュッセルのドイツ本部に関する間諜を担当するが[2]、1943年2月7日、ナチスに買収されたフランス人将校の密告によりフォンクルーズ城でカシスのゲシュタポにより逮捕され、マルセイユのサン=ピエール通りにある刑務所で尋問・拷問を受けた。 ロベールの身柄はドイツのフライブルクに移され、2度の拷問を受け食事も与えられず、12月15日にロベールは他の10名の仲間とともに軍事裁判にかけられ、スパイ容疑で死刑を宣告され、カールスルーエ近郊のブルッフザール要塞に収容された。数か月の拘留で2度の脱獄を試みたが失敗、帝国軍事法廷によって再び死刑判決を受けた。 1944年4月1日、ロベールはカールスルーエのハードトワルドの森にあるドイツ国防軍の射撃場で、レジスタンスの13名のメンバーとともに処刑され[3][4]、ラ・マルセイエーズを歌って死んだ。
戦後、集団墓地に埋葬されていたロベールとその仲間の遺体は、1947年にフランスに送還された。オテル・デ・ザンヴァリッドで彼らを讃える式典が行なわれ、ロベールにクロワ・ド・ゲール勲章が授与された。現在、ロベールはジャンティイ墓地の軍事広場に埋葬されている。
映画出演
[編集]※年号は本国での公開年、邦題は日本公開時のもの、()は役名
- 1932年 -『にんじん』(にんじん)
- 1933年 -『Le Petit Roi』(ミシェル8世)
- 1934年 -『家なき兒』(レミ)
- 1936年 -『我等の仲間』(ルネ)
- 1937年 -『Le Fraudeur』(テオ)
- 1937年 -『L'Homme du jour』(ミロ)
- 1937年 -『舞踏会の手帖』(ジャック)
- 1938年 -『La vie est magnifique (アラン)
- 1938年 -『Mollenard』(ジャン)
- 1938年 -『Le Petit Chose』(ダニエル)
- 1938年 -『Éducation de prince』(サッシャ王子)
- 1941年 -『Espoirs』(ピエール)
- 1942年 -『Cap au large』(ジズー)
舞台出演
[編集]- 1938年 -『Juliette』 - Jean Bassan, mise en scène Paulette Pax, Théâtre de l'Œuvre
顕彰・引用
[編集]- 1948年1月10日、ロベールの未亡人のためにフォーリー=ワグラム劇場で募金運動が始まる[5]。
- 1967年2月3日、劇場「シネマテーク・ド・ラ・ヴィル・ド・パリ」は彼の栄誉をたたえて「シネマテーク・ロベール・リナン」と改称した。
- ジョルジュ・ペレックは自著「ぼくは思い出す」に収められた480の回想の第250番目でロベールに触れ、「1943年に逮捕され、1944年に撮影され、彼は戦争のために死ななかった」と記した。
- アンリ・トロワイヤは小説「ほの明かり」でロベールの生涯に触れ、とくに彼の父親の自殺に触発されている[6]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Fourcade 1971, p. 433.
- ^ Fourcade 1971, p. 276.
- ^ Lefebvre-Filleau et al. 2020, ch. « Marie-Madeleine Bridou ».
- ^ Fourcade 1971, p. 427.
- ^ France-Soir, 6 janvier 1948, p.2
- ^ François Charles, Vie et mort de Poil de Carotte, éd. La Nuée bleue, p. 94.
参考文献
[編集]- Association Amicale Alliance, Mémorial de « l'Alliance », Paris, Durassié et Cie, 1948, 80 p. (lire en ligne [PDF])
- Marie-Madeleine Fourcade, L'Arche de Noé, t. 1, Paris, éditions Fayard, coll. « Le Livre de poche » (no 3139), (réimpr. 1998) (1re éd. 1968), 414 p. (lire en ligne)
- Marie-Madeleine Fourcade, L'Arche de Noé, t. 2, Paris, éditions Fayard, coll. « Le Livre de poche » (no 3140), (réimpr. 1998) (1re éd. 1968), 446 p.
- Yvan Foucart, Dictionnaire des comédiens français disparus, Mormoiron : Éditions cinéma, 2008, 1185 p. ISBN 978-2-9531-1390-7
- Jean-Paul Lefebvre-Filleau および Odile de Vasselot, Femmes de la Résistance : 1940-1945, Editions du Rocher, , 680 p. (ISBN 9782268103419, lire en ligne)