ロマン・ミハイロヴィチ (ベロオーゼロ公)
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ロマン・ミハイロヴィチ(ロシア語: Роман Михайлович、? - 1339年?)はベロオーゼロ公ミハイルの子である[1]。ベロオーゼロ公:1314年 - 1339年?。
兄フョードルの死後、ベロオーゼロ公位に就いた。1338年もしくは1339年に、モスクワ公(ウラジーミル大公)イヴァン・カリターの奸策に乗せられて、ヤロスラヴリ公ヴァシリー(ru)と共にジョチ・ウルスのウズベク・ハンの元へ赴いた。おそらく、ロマンはジョチ・ウルスで殺害されており、S.ソロヴィヨーフ(ru)は、この機に乗じてイヴァン・カリターはベロオーゼロ公国を購入したと推測している。ロマンに関する年代記上の記述はこの1箇所のみである[1]。
モスクワからの影響力が強まる中、ベロオーゼロ公位は存続し、ベロオーゼロ公国はフョードルとヴァシリーの子に分割相続された。フョードルはベロオーゼロ公位を継ぎ[1]、一方ヴァシリーの領土はスゴリエ公国(ru)となった[2]。
出典
[編集]- ^ a b c Ростовские и Белозерские удельные князья // Русский биографический словарь
- ^ Сугорское удельное княжество // Все монархии мира