ロンコド
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ロンコド(満洲語: ᠯᠣᠩᡴᠣᡩᠣ、ラテン文字転写:Longkodo、漢字:隆科多、? - 1728年)は、清の康熙・雍正期の重臣。満洲鑲黄旗の出身。姓はトゥンギャ(佟佳)氏(Tunggiya hala)。康熙帝の生母孝康章皇后の弟である佟国維の子で、康熙帝の3番目の皇后孝懿仁皇后の弟。
生涯
[編集]康熙27年(1688年)に一等侍衛・鑾儀使・正藍旗蒙古副都統に任じられた。康熙59年(1720年)、理藩院尚書・歩軍統領となった。康熙帝の皇四子の胤禛(後の雍正帝)との間には密接な関係があって、胤禛から「叔父」と呼ばれた[1]。
康熙61年(1722年)、康熙帝が病を得て崩御すると、ロンコドは遺詔によって「伝位于四子」(四子がすなわち雍正帝のこと)と公表したが、簒位の噂が絶えなかった。即位して間もなく、雍正帝はロンコドを吏部尚書・太保に任じ、ロンコドは一時権勢を誇った。しかし雍正5年(1727年)、「四十一大罪」を理由に無期懲役に処せられ、翌年に誅殺された。
出典
[編集]- 『清史稿』
登場作品
[編集]脚注
[編集]- ^ 実際には嫡母(義母)の弟であったが、雍正帝の祖母である孝康章皇后の甥という血縁関係もあった。