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ワット・プラシーラッタナーマハータート (シーサッチャナーライ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワット・プラシーラッタナーマハータート
วัดพระศรีรัตนมหาธาตุ
Wat Phra Sri Rattana Mahathat
基本情報
座標 北緯17度25分45秒 東経99度48分40秒 / 北緯17.42917度 東経99.81111度 / 17.42917; 99.81111座標: 北緯17度25分45秒 東経99度48分40秒 / 北緯17.42917度 東経99.81111度 / 17.42917; 99.81111
宗教 仏教
宗派 大乗仏教
地区 シーサッチャナーライ郡
スコータイ県
タイ王国の旗 タイ
現況 遺跡
建設
形式 クメール建築英語版
様式 バイヨン様式
完成 12世紀末-13世紀
資材 ラテライト
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東門
仏坐像

ワット・プラシーラッタナーマハータート (Wat Phra Sri Rattana Mahathat、タイ語: วัดพระศรีรัตนมหาธาตุ) は、タイ北部スコータイ県シーサッチャナーライに位置するシーサッチャナーライ歴史公園にある。ワット・プラシーラッタナーマハータート・チャリエン (Wat Phra Sri Rattana Mahathat Chaliang、タイ語: วัดพระศรีรัตนมหาธาตุเชลียง) とも称され、シーサッチャナーライがスコータイ王朝の副王都となる以前、クメール王朝時代の都チャリエン (Chaliang、タイ語: เมืองเชลียง) に建立された仏教寺院遺跡である[1]

位置

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ワット・プラシーラッタナーマハータートは、シーサッチャナーライ旧市街より東およそ2km[2]ヨム川の流れが湾曲した位置にある旧都チャリエンの中心地としてある[1]

歴史

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ワット・プラシーラッタナーマハータートは、チャリエンで最大かつ歴史的に最も重要な寺院である。寺院はチャリエンがクメール王朝の支配下にあり、ジャヤーヴァルマン7世が統治していた12世紀末-13世紀ごろに大乗仏教寺院として創建されたと考えられる[3]。この寺院はスコータイ王朝時代のラームカムヘーン大王碑文に記され[3]、また多くの歴史的記録が、アユタヤ、トンブリーチャクリー王朝の時代に残されている。1958年、国王ラーマ9世と王妃シリキットが訪れた後、ワット・プラシーラッタナーマハータートは第1級王室寺院に格付けされ[2]、タイ王室の庇護のもとに置かれた。

構成

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寺院の敷地は、東西250m、南北50mの長方形であり、通常は東側が正面となる[4]。寺院の建造物は、ラテライトの周壁に囲まれていた[5]。寺院の正門(東門)はクメールのバイヨン様式を模した小形の門であり[6]、四面の独特なブラフマーの頭部とともに[3]、カーラ (kala) [7]アプサラス漆喰淺浮彫りで装飾される。

中央に高く建つ塔堂(プラーン、prang)は、クメール英語版様式の塔門(ゴープラGōpura)をタイに取り入れた構造物である。当初、塔堂の様相はバイヨン様式であったとされるが、チャリエンがアユタヤ王朝の統治下にあった時代、塔堂はボーロマコートにより、18世紀[8]、現在のアユタヤ様式に改められた[7]

中央の礼拝堂(ウィハーン、wihan)には、高いラテライトの支柱に囲まれた大きなスコータイ様式の仏坐像がある[8]。その左側(南)には、スコータイ様式の歩く姿の仏像(遊行仏)も見られる[7][9]

塔堂の後方(西)には、モン様式の大きな八角形の基壇をもつ仏塔(チェーディー、chedi)の遺構があり、その南西には、よく保存された仏堂(モンドップ、mondop)と仏立像が安置される[3]。そのさらに西側には2体の仏像を安置したもう1つの礼拝堂がある[3]。また、敷地内には小形のスリランカ様式の仏塔が多く認められる。

脚注

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  1. ^ a b 金子 (1985)、128-130頁
  2. ^ a b 中村浩『ぶらりあるきチェンマイ・アユタヤの博物館』芙蓉書房出版、2016年、96頁。ISBN 978-4-8295-0701-8 
  3. ^ a b c d e Wat Mahathat, Si Satchanalai, Thailand”. Asian Historical Architecture. orientalarchitecture.com. 2017年9月2日閲覧。
  4. ^ 金子 (1985)、130-131頁
  5. ^ 金子 (1985)、131頁
  6. ^ 金子 (1985)、135頁
  7. ^ a b c 高杉等『東南アジアの遺跡を歩く』めこん、2001年、217頁。ISBN 4-8396-0144-5 
  8. ^ a b 金子 (1985)、133頁
  9. ^ 金子 (1985)、134頁

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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