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ワルデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワルデル

Wardheer
Werder
ワルデルの位置(エチオピア内)
ワルデル
ワルデル
エチオピアでの位置
北緯6度58分 東経45度20分 / 北緯6.967度 東経45.333度 / 6.967; 45.333
エチオピアの旗 エチオピア
ソマリ州の旗 ソマリ州
地区 ワルデル地方英語版
標高
541 m
人口
(2005)
 • 合計 18,357人
等時帯 UTC+3 (東アフリカ時間)

ワルデル(Werder, Wardher, ソマリ語: Wardheer)はエチオピア東部にある町。ソマリ州ワルデル地方英語版に属し、海抜541メートル。ワルデル行政地区英語版の行政機関もある。

イタリアエチオピアとが争った1935年の第二次エチオピア戦争の発端となったワルワル英語版の井戸は、ワルデルの北東12キロメートルの位置にある[1]

概要

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エチオピア中央統計局英語版の2005年の調査によると、ワルデルの推定人口は18,357人である[2]。1997年の国税調査では12,309人だった。都市部の住民の98.2%がソマリ族である。ソマリ族の多くは郊外に住むため、ワルデル行政地区全体で見ればソマリ族の割合は99.9%である[3]

歴史

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20世紀の初めにサイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサンがエチオピア、イギリス、イタリアに反旗を翻した際、ワルデルのソマリ族もこれに協力して1910年に砦を建設し、オガデン地方での反乱を後押しした[4]

1933年から1934年にかけて、イタリアはイタリア領ソマリランドからワルデルまで、ゲラディ英語版経由で自動車道路を建設した。イタリアはワルデルのやや北東にあったオアシス、ワルワル英語版に砦を築き、それまでエチオピア領と考えられていたワルデルに対しての給水を制限した[1]。これが第二次エチオピア戦争の発端となった。

第二次世界大戦後の1948年、エチオピア政府は、それまで漠然とエチオピア領と考えられていたオガデン地方東部のケブリ・デハル英語版ケラフォ英語版、ワルデルの各地に初めて行政官を派遣した[1]

1977年から始まったオガデン戦争の当初、ワルデルはソマリアが占領した。しかしエチオピア軍は反撃に成功し、1980年11月に行われた一連の作戦の中でワルデルを取り戻した。ワルデルは12月3日までエチオピア軍の3つの拠点の一つとして使われた[5]

オガデン戦争の後も、オガデン地方ではエチオピア支配に対する反乱が続いた。ソマリ族主体で作られ、シラヴォ英語版ケラフォ英語版辺りを拠点とするオガデン民族解放戦線は、エチオピア政府と1994年2月23日にワルデルで戦闘を行った。戦闘による死者は両軍合わせて50人を越え、住民が避難する騒ぎになっている[6]

その後もソマリ州では混乱が続き、2007年7月24日には[7]ワルデルで活動する NGO 国境なき医師団 (MSF) が11月まで[8]一時撤退させられている。ワルデルの栄養状態の悪化は2008年9月になっても収まらず、ソマリ州の中でも特にひどいと報告されている[9]。2010年3月にはこの地区における結核の発生状態に改善が見られている[10]

脚注

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  1. ^ a b c "Local History in Ethiopia" The Nordic Africa Institute website (accessed 3 December 2007)
  2. ^ CSA 2005 National Statistics[リンク切れ], Table B.3
  3. ^ 1994 Population and Housing Census of Ethiopia: Results for Somali Region, Vol. 1 Tables 2.4, 2.13, 2.14 (accessed 10 January 2009). The results of the 1994 census in the Somali Region were not satisfactory, so the census was repeated in 1997.
  4. ^ Said S. Samatar, Oral Poetry and Somali Nationalism (Cambridge: University Press, 1982), pp. 133
  5. ^ Gebru Tareke, "From Lash to Red Star: The Pitfalls of Counter-Insurgency in Ethiopia, 1980-82", Journal of Modern African Studies, 40 (2002), p. 471
  6. ^ February 1994 Monthly Situation Report United Nations Emergencies Unit for Ethiopia (accessed 29 May 2008)
  7. ^ MSF エチオピア:人道危機が悪化する中、MSFはソマリ州での活動を拒否される
  8. ^ "2008 Human Rights Reports: Ethiopia", Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor, US State Department (accessed 8 July 2009)
  9. ^ MSF エチオピア・ソマリ州における栄養状況の悪化
  10. ^ MFS 結核:改善がみられるエチオピア・ソマリ州ワルデルでの治療