コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ワンダ・ガアグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワンダ・ガ-グから転送)
ワンダ・ガアグ
Wanda Hazel Gág
1916年12月)
誕生 1893年3月11日
アメリカ合衆国の旗 ミネソタ州ニューアルム英語版[1]
死没 1946年6月27日(1946-06-27)(53歳没)
アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク
職業 画家、版画家、作家、翻訳家
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル 児童文学
代表作 100まんびきのねこ英語版
主な受賞歴 ニューベリー賞コールデコット賞
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

ワンダ・ヘイゼル・ガアグ英語: Wanda Hazel Gág1893年3月11日 - 1946年6月27日)は、アメリカ合衆国の芸術家、作家、翻訳家、イラストレーター。代表作である『100まんびきのねこ英語版』は、ニューベリー賞ルイス・キャロル・シェルフ賞英語版を受賞し、今も出版され続けているアメリカで最も古い絵本である[2]。他に『ABC Bunny』でニューベリー賞、『しらゆきひめと七人の小人たち英語版』『なんにもないない』でコールデコット賞を受賞した。

1940年に自身の日記(1908年から1917年まで)を抜粋、編集した『Growing Pains』[注釈 1]を出版し、それも高い評価を受けた[4][5]

前半生

[編集]

1893年3月11日にミネソタ州ニューアルム英語版で生まれた[6]。父親は画家、写真家だったアントン・ガアグ英語版。7人きょうだいの一番上で、絵を描いたり、歌ったり、物語や詩を書きながら育ち[7]、10代の頃に描いたイラスト主体の物語である「Robby Bobby in Mother Goose Land」がミネアポリス・ジャーナルの子供新聞増刊号に掲載された[8]。15歳の時に父親が死去、ワンダに最後に遺した言葉は「Was der Papa nicht thun konnt’, muss die Wanda halt fertig machen.(→パパは何もできなかったから、ワンダは最後までやり遂げてくれ。)」だった[9]。父親の死後、一家は戦争に巻き込まれ、働かざるを得なくなったとされる。しかしこれらの困難にも負けず学校に通い続け1912年6月に卒業、同年11月から1913年6月までスプリングフィールド英語版にある国立学校で教鞭を取っていた[10]

芸術学校

[編集]

1913年、ガアグは芸術、政治、哲学に関する新しい考えを自身に授けたことで強い影響を与えることになる、ミネソタ大学ツインシティー校の医学生であるエドガー・T・ハーマンとである[11]。1913年から1914年まで友人の援助や奨学金でセントポール芸術学校に[11]、1914年から1917年までハーシェル・V・ジョーンズ英語版の支援でミネアポリス芸術学校英語版にも通った[12][13]。この時ハリー・ゴットリーブ英語版だけでなく後に恋人となるアドルフ・デーン英語版と出会った[14]。1917年、アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークの奨学生に選ばれ[15]、さらに初めての書籍製作の仕事としてジーン・シャーウッド・ランキンが書いた「A Child’s Book of Folk-Lore— Mechanics of Written English」のイラストを担当した[16]。その後グリニッジ・ヴィレッジに移住し、アート・スチューデンツ・リーグでは合成、エッチング、広告イラストを勉強した。

ニューヨーク

[編集]
石版の準備作業(1932年)

1919年、広告イラストで生活費をまかなっていたが、この時期から適切な発音(ラストネームの韻は「wag」ではなく「bog」)ができるように自身のラストネームにアクセント記号を付け加えている[17]。1921年、箱の側面にストーリーパネルを装飾する「ハッピーワークボックス」(Happiwork Story Boxes)というビジネスベンチャーに参加した[18]。1921年、Broom: An International Magazine of the Arts[19]に自身の絵が掲載され、1923年に初めての個展をニューヨーク公共図書館で開催し[20]、芸術家のウィリアム・グロッパー英語版と共に「Folio」という雑誌を一号だけながら発行した[21]。1925年、子供向けのイラストクロスワードパズルを複数の新聞で連載した[22]

1926年、ウェイヘ・ギャラリー英語版(Weyhe Gallery)で個展が開催されると「アメリカ合衆国における最も有望な若手グラフィックアーティストの1人」と認められるまでになり、生涯の関係を持つマネージャーのカール・ジグロッサー(Carl Zigrosser)との二人三脚が始まった[23][24]。この時からギャラリーで数多くのリソグラフ、リノリウム版画、水彩画といった絵画作品の販売を始めた。

1927年、ネイション誌の「These Modern Women: A Hotbed of Feminists(→現代的な女性たち:フェミニストの温床)」というガアグに関する記事で、男性関係について書くためにアルフレッド・スティーグリッツエグモント・アレンス英語版を取り上げ、「The way you solved that problem seems to me to be the most illuminating part of your career. You have done what all the other ‘modern women’ are still talking about.(→問題を解決する方法は生涯で最も輝いている部分にあると思う。全ての他の「現代的な女性」が未だに何を話しているのかも分かっている。)」と書いている[25][26]。また、左派雑誌であるザ・ニュー・マッシズ英語版ザ・リベレーター英語版の表紙イラストも描いている[27][28]。1927年、イラスト主体の物語である「Bunny's Easter Egg」が児童雑誌のジョン・マーティンズ・ブック英語版に掲載された[29]

1929年、ニューヨーク市のダウンタウン・ギャラリー英語版で行われたガアグのレビュアー(ペギー・ベーコン英語版も参加)によるジョイントショーにて「Wanda Gag’s imagination leaps out from dusky shadows and terrifies with light, an emotional source difficult to analyze…(→ワンダ・ガアグのイマジネーションはくすんだ影から飛び出し、光で恐れさせるが、探るのが難しい情熱の源…)」と評された[30]。やがて自身の作品は国際的な名声を得るようになり、アメリカ合衆国グラフィックアート協会英語版のフィフティ・プリンツ・オブ・ザ・イヤー(Fifty Prints of the Year)を1928年、1929年、1931年、1932年、1936年、1937年、1938年に受賞している[31]。1939年にニューヨーク近代美術館で開催された「アート・イン・アワー・タイム」(Art in Our Time)やニューヨーク万国博覧会の「アメリカン・アート・トゥデイ」展覧会などガアグの作品はニューヨークで展示され続けている[32]

児童図書

[編集]

コワード・マッキャン英語版の児童図書部門で責任者であるアーニスティン・エヴァンス英語版はガアグの作品に興味を抱いていた。日々発行される児童図書に不満を示し、より現実的であまり理想化されていない本を製作するために新たな作家や芸術家を探していた。そして、ガアグに古い作品の改訂版のイラストを依頼したが、ガアグは「I am simply not interested in illustration as such... It has to be a story that takes hold of me way down deep(→絵を描くだけの仕事には興味がなく、深く掘り下げた物語を自身で書きたい。)」と断った[33]。そこでエヴァンスはガアグが文筆と挿絵を手がけた本を出すことを容認し1928年に「100まんびきのねこ」を出版、絵本で権威のある賞であるニューベリー賞を受賞することになる[34]

1935年、原始的なフェミニズムに基づく[35]「すんだことは すんだこと」(Gone is Gone; or, the Story of a Man Who Wanted to Do Housework)を出版した。この時の一部の教育者はお伽話を嫌い、より現実的な内容の児童文学を好んでいたが[36]、ガアグは「I know I should feel bitterly cheated if, as a child, I had been deprived of all fairy lore...(→私がもし子供として妖精のお話が全て奪われたら激しく騙されたと感じることを知っている。)」と反論している[37]。これらのお話を活用するようになり、1936年に「ヘンゼルとグレーテル」(Tales from Grimm)を出版、2年後にディズニー映画版の「つまらなさ、不毛さ、感傷的さ」に対抗する形で「しらゆきひめと七人の小人たち」(Snow White and the Seven Dwarfs)を翻訳し挿絵を描いた[38]

ホーン・ブック・マガジン』の1939年3月号にはエッセイである「I Like Fairy Tales」が掲載、1942年には「Nothing at All」がコールデコット賞を受賞した。死後の1947年、マーゴット・タイムズがガアグによって翻訳された4つのお伽話と話ごとに新たな挿絵を掲載した「More Tales from Grimm」が出版された。

家族と生活

[編集]

1920年初めはニューイングランド、ニューヨーク、コネチカット州といった複数の場所で夏を過ごし絵を描いていた[18]。1925年から1930年までニュージャージー州グレンガードナー英語版に3エーカーの農地(タンブル・ティンバーズ)を借りていて、1931年に同州のミルフォード英語版でもより広大な農地(オール・クリエイション)を買収している[39]。結婚していないきょうだいへの援助も続けていて、一部を除いて常に同居していた。きょうだいの1人であるハワードはワンダの著作のほとんどでレタリングしていて、姉妹のフラビア・ガアグにも子供向け絵本を書くように薦めていた[40]。1943年8月27日に長年の恋人でビジネスマネージャーのアーリー・ハンフリーと結婚したが[41]肺がんを患い、1946年6月27日にニューヨーク市で死去した。

遺されたもの

[編集]
ミネソタ州ニューアルムにあるガアグの生家は博物館になっている。

1947年にザ・ホーンブック・マガジンに追悼特集が掲載された[42]。ガアグの原稿はミネソタ大学ツインシティー校のケーラン・コレクション[43]、ニューヨーク公共図書館、ペンシルベニア大学[44]フィラデルフィア自由図書館英語版ミネアポリス美術館に所蔵されている[45]。ミネソタ州ニューアルムにある生家は後に修復され「ワンダ・ガアグ・ハウス」という博物館、観光や教育プログラムの案内センターになった[46]

死後、1958年にルイス・キャロル・シェルフ賞を、1977年にケーラン賞英語版を受賞した。ミネソタ大学ツインシティー校とムーアヘッドは毎年ワンダ・ガアグ・アラウド・ブック賞を主催している。ガアグの版画や絵画作品はナショナル・ギャラリー[47]大英博物館[48]ミネアポリス・インスティテュート・オブ・アーツだけでなく世界中の数ある博物館に所蔵されている。

ワンダ・ガアグの影響を受けた芸術家にはエリック・ローマン英語版[49]ウルシュラ・ドボサルスキー英語版[50]スーザン・マリー・スワンソン英語版[51]ジャン・ブレット英語版モーリス・センダック[52]レイ・ジョンソン英語版[53]がいる。

1928年に刊行した最初の絵本、「100まんびきのねこ」は高い評価を受け、絵本作家として初めて市民権を得たともいわれる[54]。この作品は世界各国で翻訳され[55]日本では1961年に紹介された[56]

晩年の「なんにも ないない」(Nothing At All)を除くと挿絵はモノクロの作品がほとんどだったが、木版エッチングリトグラフなど版画の技法を習得しており、印刷インキの色合いに繊細な感覚があったと評される。以後のイラストレーターが「ガアグの黒」を印刷業者に指定することもあったという[57]

著書

[編集]

文とイラスト

[編集]

日記

[編集]

翻訳およびイラスト

[編集]
  • Tales from Grimm, Coward McCann, 1936[60]
    • 『ヘンゼルとグレーテル』 佐々木マキ訳(福音館書店 1993年 ISBN 978-4834011708
  • Snow White and the Seven Dwarfs, Coward McCann, 1938[61]
  • Three Gay Tales from Grimm, Coward McCann, 1943
  • More Tales from Grimm, Coward McCann, 1947

イラスト

[編集]
  • A Child’s Book of Folk-Lore— Mechanics of Written English, by Jean Sherwood Rankin, Augsburg, 1917
  • The Oak by the Waters of Rowan, by Spencer Kellogg Jr, Aries Press, New York, 1927
  • The Day of Doom, by Michael Wigglesworth英語版, Spiral Press, 1929

翻訳

[編集]
  • The Six Swans, illustrations by Margot Tomes, Coward, Mccann & Geoghegan, 1974
  • Wanda Gág's Jorinda and Joringel, illustrations by Margot Tomes, Putnam, 1978
  • Wanda Gag's the Sorcerer's Apprentice illustrations by Margot Tomes, Putnam, 1979
  • Wanda Gag's The Earth Gnome, illustrations by Margot Tomes, Putnam, 1985

主な版画

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 日本では『ワンダ・ガアグ 若き日の痛みと輝き 「100まんびきのねこ」の作者が残した日記』(阿部公子訳、こぐま社、1997年)として出版されている[3]
  2. ^ 前書きには、小さい頃に祖母が話してくれた古い古い話、と書いてある。

出典

[編集]
  1. ^ 桂宥子・牟田おりえ編著『はじめて学ぶ英米児童文学史』ミネルヴァ書房、2004年、pp.124-125
  2. ^ Millions of Cats by Wanda Gág”. The Wild Place. Richland County Public Library. 20 November 2009閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ ワンダ・ガアグ 若き日の痛みと輝き 「100まんびきのねこ」の作者が残した日記. こぐま社. 2021年9月5日閲覧
  4. ^ Wanda Gág, Growing Pains. Borealis/Minnesota Historical Society Press, Saint Paul, p. xviii
  5. ^ Frances Smith. Testament of Faith, a review of Gág's Growing Pains. The Saturday Review, October 5, 1940, p. 12
  6. ^ Wanda Gág bio[リンク切れ], Minnesota Historical Society. Accessed Apr. 26, 2011.
  7. ^ Audur H. Winnan, Wanda Gág, Smithsonian Institution Press, 1993, p. 2
  8. ^ Richard W. Cox, Minnesota History, Fall 1974, p. 250
  9. ^ Gág, p. xxxi
  10. ^ Winnan, p. 89
  11. ^ a b Winnan, p.2
  12. ^ Gág, p. 314
  13. ^ Winnan, p.4
  14. ^ Wanda Gág Papers, 1892-1968
  15. ^ Gág, p. 459
  16. ^ Gág, p. 466
  17. ^ Karen Nelson Hoyle Wanda Gág, a Life of Art and Stories pp. 8-10, University of Minnesota Press, 2009
  18. ^ a b Hoyle, pp. 10-13
  19. ^ Harold A. Loeb, New York, 1921, vol. II, no. 2
  20. ^ Winnan, p. 13
  21. ^ Hoyle, p. 13
  22. ^ Winnan, p. 239
  23. ^ Julie L’Enfant, The Gág Family, Afton Historical Society Press, 2002, p.123
  24. ^ The New Yorker: November 13, 1926, p. 90
  25. ^ Winnan, p. 36, 71
  26. ^ L'Enfant, p.130
  27. ^ Andrew Hemingway, Artists on the Left: American Artists and the Communist Movement 1926-1956, 2002
  28. ^ Exhibition at Tweed Museum of Art, University of Minnesota-Duluth, 2008-9[リンク切れ]
  29. ^ John Martin's House: New York, vol. XXXV, issue no. 4
  30. ^ New York Times, December 15, 1929.
  31. ^ Winnan, pp. 72-76
  32. ^ L'Enfant, p.156
  33. ^ Cech, John (editor), Dictionary of Literary Biographies: American Writers for Children, 1900-1960, Gale Research, 1983, vol. 22, p. 184
  34. ^ Newbery Awards”. 2012年5月15日閲覧。
  35. ^ Maria Popova. The Story of a Man Who Wanted to do Housework: A Proto-Feminist Childen's Book from 1935. Brain Pickings site.
  36. ^ Hoyle, p. 59
  37. ^ Cech, p. 187
  38. ^ Silvey, Anita英語版, The Essential Guide to Children’s Books and Their Creators, Houghton Mifflin, 2002, p. 171
  39. ^ Winnan, pp. 71-73
  40. ^ New Ulm Journal, July 29, 2010
  41. ^ Winnan, p. 61
  42. ^ The Horn Book Magazine, issue 23, May–June 1947
  43. ^ Collection Index
  44. ^ [1][リンク切れ]
  45. ^ Chevalier, Tracy (editor), Twentieth-Century Children's Writers, St. James Press, 1989, p. 370
  46. ^ Wanda Gág House, accessed June 2012
  47. ^ Research Collection[リンク切れ]
  48. ^ Research Collection
  49. ^ Seven Impossible Things Before Breakfast » Blog Archive » Seven Impossible Interviews Before Breakfast #65: Author/Illustrator Eric Rohmann
  50. ^ Ursula Dubosarsky Archived 2013年4月28日, at the Wayback Machine.
  51. ^ The House in the Night board book[リンク切れ], ISBN 0547577699
  52. ^ Wanda Gág’s ‘Millions of Cats’ — An American Classic for Children | One-Minute Book Reviews[リンク切れ]
  53. ^ Robert Pincus-Witten, Artforum, February 2015
  54. ^ 子どもの本だより 「もっと絵本を楽しもう!」 - 徳間書店 竹迫祐子、1995年9月10日
  55. ^ Millions of Cats by Wanda Gág ワンダ・ガアグ 『100まんびきのねこ』
  56. ^ 作家紹介 | ワンダ・ガアグ Wanda Gag - こぐま社
  57. ^ 開花期-第二次世界大戦末まで 33頁(34枚目) - ISSN 1880-5035 平成19年度国際子ども図書館 児童文学連続講座講義録 絵本の愉しみ(2)─アメリカ絵本の展開─ 吉田新一
  58. ^ 100まんびきのねこ[リンク切れ] - 鳴門教育大学
  59. ^ すんだことは すんだこと[リンク切れ] - 鳴門教育大学
  60. ^ ヘンゼルとグレーテル[リンク切れ] - 鳴門教育大学
  61. ^ しらゆきひめと七人の小人たち[リンク切れ] - 鳴門教育大学

参考文献

[編集]
  • Gág, Wanda, Growing Pains, Borealis/Minnesota Historical Society Press, Saint Paul, 1984
  • Hoyle, Karen, Wanda Gág, Twayne Publishers, 1994
  • Winnan, Audur, Wanda Gág: A Catalogue Raisonne of the Prints , Smithsonian Institution Press, 1993

外部リンク

[編集]