ヴァシリー・クズネツォフ
表示
ヴァシリー・クズネツォフ Василий Кузнецов | |
ヴァシリー・クズネツォフ(1963年撮影)
| |
任期 | 1985年3月10日 – 1985年7月2日 |
---|---|
任期 | 1984年2月9日 – 1984年4月11日 |
任期 | 1982年11月10日 – 1983年6月16日 |
任期 | 1977年10月7日 – 1986年6月18日 |
最高会議幹部会議長 | レオニード・ブレジネフ ユーリ・アンドロポフ コンスタンティン・チェルネンコ アンドレイ・グロムイコ |
出生 | 1901年2月13日 ロシア帝国、コストロマ州ソフィロフカ |
死去 | 1990年6月5日(89歳没) ソビエト連邦、モスクワ |
政党 | ソビエト連邦共産党 |
ヴァシリー・ヴァシリエーヴィチ・クズネツォフ(ロシア語: Васи́лий Васи́льевич Кузнецо́в, ラテン文字転写: Vasilii Vasil'evich Kuznetsov, ワシリー・クズネツォフ、英語: Vasili Kuznetsov, 1901年2月13日 - 1990年6月5日)は、ソビエト連邦の政治家、外交官。
来歴・人物
[編集]ユリウス暦1901年1月31日(グレゴリオ暦2月13日)、コストロマ州ソフィロフカに生まれる。1927年5月、ソ連共産党に入党する。1931年から1933年まで金属工学を学ぶためにアメリカに渡っている。
帰国後、1940年代初頭から党と国家の諸機関で勤務し、1955年ソ連第一外務次官を経て、ブレジネフ時代の1977年に新設された最高会議幹部会第一副議長に就任した。ブレジネフの死後、1982年から1983年まで幹部会議長代行を務める。以後、1984年、1985年のアンドロポフ、チェルネンコ両最高会議幹部会議長の死後、議長代行を務めた。1982年12月31日には、国家元首たる議長の代行として、ソ連国営テレビにて新年の祝辞を述べている。1986年、第一副議長のポストをピョートル・デミチェフ文化相に譲り、年金生活入りした。
1990年6月5日、モスクワで89歳で死去した[1]。彼は、ミハイル・ゴルバチョフがこの記録を破るまで、ソ連及びロシアの国家元首(代行を含む)経験者のうち、最長寿の人物であった。
出典
[編集]- ^ "Vasily Kuznetsov, 90, Dies; Former Soviet Vice President", The Washington Post, 7 June 1990.
参考文献
[編集]- Nikolai A. Zenkovič, Samye zakrytye ljudi i. Encyclopedia of biographies, OLMA-Press, Moscow, 2002, ISBN 5-94850-035-7; pp. 298–292
公職 | ||
---|---|---|
先代 レオニード・ブレジネフ |
ソビエト連邦最高会議幹部会議長代行 1982年 - 1983年 |
次代 ユーリ・アンドロポフ |
先代 ユーリ・アンドロポフ |
ソビエト連邦最高会議幹部会議長代行 1984年 |
次代 コンスタンティン・チェルネンコ |
先代 コンスタンティン・チェルネンコ |
ソビエト連邦最高会議幹部会議長代行 1985年 |
次代 アンドレイ・グロムイコ |
先代 新設 |
ソビエト連邦最高会議幹部会第一副議長 初代 : 1977年 - 1986年 |
次代 ピョートル・デミチェフ |
カテゴリ:
- ソビエト連邦最高会議幹部会議長
- ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の政治家
- ソビエト連邦共産党中央委員会政治局の人物
- 全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会組織局の人物
- ゴスプランの人物
- スターリン賞受賞者
- ソビエト連邦最高会議幹部会の人物
- 第2回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第3回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第4回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第5回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第6回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第7回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第8回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第9回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第10回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 第11回ソビエト連邦最高会議の代議員
- 在中華人民共和国ソビエト連邦大使
- 社会主義労働英雄
- レーニン勲章受章者
- 十月革命勲章受章者
- 労働赤旗勲章受章者
- 赤星勲章受章者
- 名誉記章勲章受章者
- コストロマ県出身の人物
- 1901年生
- 1990年没