ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ (ロストフ公)
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ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ Василий Константинович | |
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ロストフ公 | |
在位 | 1307年 - 1316年 |
出生 |
1291年 |
死去 |
1316年 |
子女 |
フョードル コンスタンチン |
家名 | リューリク家 |
父親 | ロストフ公コンスタンチン |
ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ(ロシア語: Василий Константинович、1291年 - 1316年)は、歴代ロストフ公のうちの1人である。在位:1307年 - 1316年。あるいは1316年のみ[1]。
生涯
[編集]ヴァシリーはロストフ公コンスタンチン(ru)の子である。年代記上における、ヴァシリーに関する記述は2ヶ所のみである。すなわち、1291年に生まれたこと、また、1316年にジョチ・ウルスからの使者と共にロストフへ到来し、多大な被害を与えたという記述である。ヴァシリーのこの行動は、この時期進行していた、トヴェリ公ミハイル、モスクワ公ユーリーによる、ウラジーミル大公位をめぐる闘争と関連していると考えられている。
ヴァシリーの妻に関する詳細は不明であるが、フョードルとコンスタンチン(ru)という2人の子がおり、ヴァシリーの死後、2人がロストフ公国を分割して相続した。ヴァシリーの没年はおそらく1316年である。
出典
[編集]- ^ Войтович Л. 3.17. Мономаховичі. Юрійовичі. Ростовська, Суздальська, Московська і Тверська гілки // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.
参考文献
[編集]- Виноградов.А. Ростовские и Белозерские удельные князья // Русский биографический словарь : в 25 томах. — СПб.—М., 1896—1918.
- Василий Константинович, князь ростовский (сын Константина Борисовича) // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона(『ブロックハウス・エフロン百科事典』) : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
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