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シュザンヌ・ヴァラドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァラドンから転送)
シュザンヌ・ヴァラドン
Suzanne Valadon
20代のシュザンヌ・ヴァラドン
生誕 マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(Marie-Clementine Valadon)
1865年9月23日
フランスの旗 フランス帝国ベッシーヌ=シュル=ガルタンプフランス語版ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県
死没 (1938-04-07) 1938年4月7日(72歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
墓地 サン=トゥアン墓地(Cimetière parisien de Saint-Ouen
国籍 フランスの旗 フランス
教育 独学、のちにエドガール・ドガに師事
著名な実績 絵画
代表作 《エリック・サティの肖像》(1892-93)
《アダムとイヴ》(1909)
《祖母と孫息子》(1910)
《家族の肖像》(1912)
《網を打つ人》(1914)
流派 ポスト印象派表現主義
配偶者 ポール・ムージス(Paul Mousis)
アンドレ・ユッテルフランス語版
選出 国民美術協会

シュザンヌ・ヴァラドンSuzanne Valadon1865年9月23日 - 1938年4月7日)は、フランス画家

人物

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モンマルトルピュヴィス・ド・シャヴァンヌルノワールロートレックらの著名な画家のモデルを務めながら独学で絵を描き始め、エドガー・ドガに師事した。モーリス・ユトリロの母であり、幼いユトリロの素描から1921年制作の代表作《モーリス・ユトリロの肖像》まで息子を描いた絵を多数遺しているが、主に繊細な風景画を描いたユトリロとは対照的に、ヴァラドンは力強い人物画で知られる。

国民美術協会に出展した初の女性画家であり、国立美術学校で女性画学生による裸体モデルのデッザンが禁じられていた時代に、女性だけでなく男性の裸体も野獣派的な力強い線で表現した先駆的・前衛的な女性画家である。

生涯

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背景

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シュザンヌ・ヴァラドンは1865年9月23日、フランス中部のベッシーヌ=シュル=ガルタンプフランス語版オート=ヴィエンヌ県ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏)にマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(またはヴァラード)として生まれた[1][2]。母マドレーヌ・ヴァラドン(ヴァラード)は34歳の貧しい洗濯婦であった。父親については、クーロー(Coulaud)という姓で言及または噂されることがあるが不明である[2][3][4]

1870年頃(マリーが5歳の頃)、マドレーヌは娘を連れてパリに出て、労働者地区のモンマルトルに居を定めた[2][5]普仏戦争、次いでパリ・コミューンが起こった頃であり、モンマルトルは激戦地となり、この後、蜂起して犠牲となった民衆を弔うために建てられたのがサクレ・クール寺院であり[6]、ヴァラドンは生涯にわたってこの地に暮らすことになる。

ロートレックの友人で画家のフランソワ・ゴージフランス語版によるシュザンヌ・ヴァラドン(左)とロートレックのモデルの一人ジャンヌ・ウェンツの肖像写真(1890年頃)

マドレーヌはマリーをアパートの管理人などに預け、家政婦や洗濯・アイロン掛けの仕事をして生計を立てた。マリーはモンマルトル・サン=ジャン修道院が経営する小学校に入学したが[1][2]、1877年、11歳のときに退学して裁縫師になり、その後、大衆食堂の給仕、バティニョール市場野菜の売り子、店員、工場労働者などの仕事を転々とした[7][8]。15歳のとき、友だちの勧めもあって子どもの頃から憧れていたサーカス「モリエ」に入団した。曲芸師として活躍し始めたが(脇役であったとされるが[9])、6か月後に空中ブランコから転落して重傷を負い、退団を余儀なくされた[1][7][8][10]

画家のモデル

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ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ

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ヴァラドンはやがてモンマルトルの芸術家と付き合うようになった。1880年代のモンマルトルは、安酒を出す「オ・ラパン・アジル」や「ル・シャ・ノワール」、「ムーラン・ルージュ」などのキャバレーが、ボエーム(ボヘミアン)の芸術家だけでなく娼婦やその情夫、犯罪者、浮浪者、社会の周辺に生きる人々などが集まる場所であった[11]。ヴァラドンは洗濯婦の母マドレーヌの仕事を手伝って、画家たちのところに洗濯物を届けて回っているうちに誘われて、画家のモデルを務めるようになった[8]。1880年頃に登録されていた16歳から20歳のモデルは約670人であったが、肉感的な身体、くっきりとした眉や大きな青い目、そして豊かな表情が魅力のヴァラドンは人気のモデルとなった[7]。エドガー・ドガは、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンをその才能、魅力、人格を含めて両義的な意味で「恐るべきマリア」と呼んだ[1][9][10]。一方、美術評論家若桑みどりは、モデルとしてのヴァラドンを次のように評している。

人間は、顔よりもその肉体に精神を秘めているものである。シュザンヌの肉体の、堂々とした調和は、健全で、知的な精神をもった女性を暗示している。彼女が第一級の芸術家の創作意欲を刺激したのは、彼女の肉体の中にエスプリと形式美があったからだろう[12]

最初に彼女を描いた高名な画家はピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)であった。現在知られている限りでは、1884年のサロン(官展)に出展されて話題を呼んだ大作《美神(ミューズ)と芸術にとって大切な聖なる森(Bois Sacré cher aux Arts et aux Muses)》(460 x 1040 cm、リヨン美術館蔵)[13][7]、および1891年制作の《夏》(クリーブランド美術館蔵)に描かれる「骨格のしっかりとした、均衡のとれた、古典的な美しさ」をもつ肉体の女性がヴァラドンとされる[12]

ロートレック作《聖なる森》のパロディー(1884年、プリンストン大学美術館蔵)

当時20歳のロートレック(1864-1901)は、同じ1884年にシャヴァンヌのこの絵をもとに《聖なる森》のパロディーを描いている。このパロディーも絵もまた、ロートレックがちょうどこの頃出会ったヴァラドンがモデルである。この絵には、裸のミューズたちの横に、同じ画学生であったルイ・アンクタン、作家のエドゥアール・デュジャルダンフランス語版モーリス・バレス、ロートレックが最初に師事した画家レオン・ボナ、後ろを向いて立ち小便をしているロートレック自身が描かれ、警察官数人が彼ら《聖なる森》の「侵入者」に一列に並ぶように指示している[14]。ロートレックのこのパロディーは、「伝統的なアカデミックな絵画に背を向ける」彼の心的傾向を示すものとされ[8]、実際、彼はこの頃からモンマルトルの画家仲間の住居を転々としながら、「ル・シャ・ノワール」の人気歌手で、偽善虚飾を罵倒する歌詞や娼婦や浮浪者などの貧窮を歌った曲で知られるアリスティード・ブリュアンフランス語版や「ムーラン・ルージュ」の踊り子たちを描くようになった[15]

ルノワール

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ヴァラドンはまた、ルノワール(1841-1919)のモデルとしても知られている。《雨傘》(1881-86年、ナショナル・ギャラリー蔵、英国)、《ブージヴァルのダンス》(1883年、ボストン美術館蔵)、《都会のダンス》(1883年、オルセー美術館蔵)、《風景の中の裸婦》(1883年、オランジュリー美術館蔵)、《座って腕を拭く浴女》(1884-85年)、《髪を整える浴女》(1885年)、《シュザンヌ・ヴァラドン》(1885年頃、ナショナル・ギャラリー蔵、米国)、《シュザンヌ・ヴァラドンの肖像》(1885年、個人蔵)、《髪を編む娘》(1887年、ラングマット美術館蔵、スイス)、《女性大浴女図(浴女たち)》(1887年)などである[7]。特に《ブージヴァルのダンス》と《都会のダンス》が有名だが、ルノワールが同じ年に後の妻アリーヌ・シャリゴフランス語版をモデルに描いた《田舎のダンス》は、もともとヴァラドンがモデルであったが、アリーヌが嫉妬して自分の明るい笑顔に変えさせたとされる(笑顔のヴァラドンを描いた絵はほとんどない)[7][16]

ルノワールが一連のダンスの絵を描いた1883年の12月26日、18歳のヴァラドンはモンマルトルの丘のふもとのポトー通りフランス語版10番地で息子モーリスを出産した。父親については、「オ・ラパン・アジル」の歌手で大酒飲みのボワシー(Boissy)という人物であったとされるが不明である[2][9][17]。ユトリロは1891年、8歳のときにカタルーニャ州出身のスペイン人で画家・美術評論家のミゲル・ウトリーリョ・イ・モルリウスに認知されて「ヴァラドン」から「ユトリロ」に改姓された[1][17][18]。「ユトリロ」(または「ユトリヨ」)は「ウトリーリョ」のフランス語読みである。

1883年の《自画像》

ヴァラドンが本格的に絵を描くようになったのも1883年のことある。これは彼女が処女作《自画像》(国立近代美術館蔵)を描いた年である[19]。それまでに多くの前衛画家のモデルをしながら制作過程を目にしていた彼女は、見よう見まねで自画像や裸婦、の素描を描き始めた。若桑みどりはヴァラドンの素描を、「刻みつけるように鋭く、酷薄な線で、えぐるように描かれている」、「本質的な鋭い一本の線が見つかるまで」何度も描き直し、「一点のごまかしもない」と表現している[12]。それはまた、「一人の女性として、画家としての自己探求」であった[7]

ヴァラドンはユトリロが生まれてからも、彼を母マドレーヌに預け、モデルの仕事と制作に専念した。まだ18歳の彼女が女手一つで二人を養いながら家計を支えなければならなかったからである[8][9]

ロートレック

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ロートレックがヴァラドンをモデルに《聖なる森》のパロディーを描いたのは1884年のことだが、さらに1886年には、ヴァラドン一家が住むトゥールラック通りフランス語版7番地(18区)のアパートの5階にアトリエを構え、ここに二人の関係が破局を迎える1889年頃まで住んでいた[1][8]。二人がどのような関係であったのか正確にはわかっていないが、ロートレックの代表作であるヴァラドンの肖像《二日酔い(Gueule de bois)》(または《酒を飲む女(La Buveuse)》)(フォッグ美術館蔵)が描かれたのはこのとき(1888年)のことである。アカデミックな絵画に背を向けた若い前衛画家の彼は、当時すでに60代のシャヴァンヌや40代のルノワールのモデルをしていることを皮肉って、彼女を「シュザンヌ」と名付けた。旧約聖書外典ダニエル書)に登場するスザンナのことであり、スザンナは水浴中の姿を長老たちに覗き見され、関係を迫られた女性である[1][20]。この名前が気に入ったヴァラドンは、以後、「シュザンヌ・ヴァラドン」を名乗ることになる。

ロートレックが描いたヴァラドン:《二日酔い》または《酒を飲む女》

実際、シャヴァンヌが「類型化された理想の女性」、ルノワールが「優雅な若い女性」、「若さと官能に溢れた」女性としてのヴァラドンを描いたのとは対照的に、ロートレックは厳しい表情やうつろな表情のヴァラドンを描いた[7][8]。ロートレック研究家の千葉順は、ロートレックがヴァラドン像で表現したのは「厳しい生活を生きる女性の強い意志」、「ひとりの女性の内面」であり、とりわけ、《二日酔い》では、「来し方行く末を思い、沈鬱な想いに耽る現実の人生を生きるひとりの女性の姿」を描いていると評している[8]。また、画法としても、それまでの線を基調とする踊り子たちの絵と異なり、アシュール(線影)によって立体感をつけたうえにパステルを用いている。アシュールは1888年に制作された《ゴッホの肖像》で初めて用いた手法であり、パステルもロートレックとしては例外的とされる。ロートレックは同じ手法でヴァラドンを描き、その後、油彩を制作した[8]。二人の関係が終わる1889年頃までの間に、ロートレックは他にも《シュザンヌ・ヴァラドンの肖像》(1885年、ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館蔵、デンマーク)、《シュザンヌ・ヴァラドンの肖像》(1885年、アルゼンチン国立美術館蔵)などヴァラドンの肖像を数点制作している(素描と同じ構造の油彩を含む)が、重要なのは、ヴァラドンが密かに絵を描いているのを知り、その才能を最初に見抜いた画家がロートレックであったことである[8]

この他、フェデリコ・ザンドメーネギ作《ビストロのテーブルに座る女》(1885年、個人蔵)や[7]、《ル・シャ・ノワール》のポスターで知られるテオフィル・アレクサンドル・スタンランによる女性の肖像にもヴァラドンがモデルとされるものがある[21][22]。他にもアカデミックな画家ジャン=ジャック・エンネルから、後にユトリロと親交を深めた前衛画家モディリアーニまで多くの画家のモデルになり[23][24]、1891年にはミゲル・ウトリーリョの友人のスペイン人画家サンティアゴ・ルシニョールが、モンマルトルの自宅でヴァラドンとウトリーリョを描いた《夏の雲》(個人蔵)を発表している[25]

エリック・サティ

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サティによるヴァラドンの肖像
ヴァラドンによるサティの肖像

一方、ヴァラドンが1892年から93年にかけて描いた《エリック・サティの肖像》は、この音楽家の「最良の肖像として名高い」が[12]、サティもまた、1893年に五線譜の上にイラスト風に描いたヴァラドンの肖像を遺している(国立近代美術館蔵)[26]。彼は当時、初めて舞台にピアノを置くことを許可されたキャバレー「ル・シャ・ノワール」のピアニストであった[27]。26歳のサティと28歳のヴァラドンの関係は6か月間だけの「短く激しい」ものであったが[28]、この間、サティはヴァラドン宛に300通もの手紙を書いた[29]。二人の関係が破局を迎えたときにサティが作曲したのが、「あらゆる泥酔者、破廉恥漢、放蕩者、ならず者、にせ者たちを憐れみて」、「受けた侮辱の許しが問題となるとき」を含む『ゴシック舞曲 ― 我が魂の大いなる静けさと堅固な平安のための9日間の祈祷崇拝と聖歌的協賛』であった[28]

ヴァラドンはサティの友人で裕福な資産家(銀行家)のポール・ムージスと付き合い始めた[2][30]

画家ヴァラドン

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国民美術協会 - ドガに師事

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ヴァラドンは1894年に(1861年に設立され、活動を中断した後)シャヴァンヌ、オーギュスト・ロダンカロリュス=デュランによって1890年に再結成された国民美術協会[31]の展覧会に出展した。シャヴァンヌには反対されたが、選考委員会の委員であった彫刻家のアルベール・バルトロメフランス語版の支持を得て、出展が認められた。女性画家の出展は初めてのことであった。しかも、《孫息子の身づくろい》、《祖母と孫息子》を含む素描5点を出展し、初めて買い手がついた。美術品蒐集家でもあったエドガー・ドガである[32]。ドガはヴァラドンを他の美術品蒐集家や、ロートレックの画商として知られるル・バルク・ド・ブートヴィルフランス語版、画家のエミール・ベルナールピカソセザンヌゴーギャン印象派の画家の作品を多数買い上げた画商ポール・デュラン=リュエルらに紹介し、自らヴァラドンに銅版画、特にソフトグラウンド・エッチングの技法、さらにはドライポイントや油彩の技法も指導した[33]。1895年にドガの紹介により、画商アンブロワーズ・ヴォラールの画廊で初めての個展が行われた[7]

ヴァラドンによるユトリロ7歳の肖像

1896年にポール・ムージスと結婚し、コルトー通りフランス語版12番地に居を構えた。100メートル程度の小路であり、数メートル離れた6番地は1890年からサティが住んでいた(サティは1898年に越すことになる)。また、12番地は現在、モンマルトル美術館がある地所であり[34]、一家はここに1905年まで住むことになるが[4]、後にヴァラドンがムージスと離婚してユトリロの友人で21歳年下のアンドレ・ユッテルフランス語版と再婚した後、この場所に再び移り住むことになる(2014年にこのアトリエが復元され、モンマルトル美術館の一部として一般に公開された)[35]。ムージスはまた、パリ近郊のモンマニーフランス語版ヴァル=ドワーズ県)にも邸宅を構えていたため、一家はモンマルトルとモンマニーを行き来していた[4]

ムージスの経済的支援により、ヴァラドンは制作に専念することができた。ユトリロは祖母マドレーヌが住むパリ近郊のピエールフィット(現セーヌ=サン=ドニ県)のモラン寄宿学校に預けられ、オーベルヴィリエで初等教育の修了証書を受けた[36]。だが、すでに10代からアルコール依存症になり、サン=タンヌ精神病院に入院した[37]。退院後にモンマニーの邸宅に移り住んだユトリロにヴァラドンは絵を描かせた。少しでもアルコールから気を逸らせたいと思ったからである[7][9][12]。ユトリロは《モンマニーの3本の通り》、《モンマニーのティユール大通り》などを制作した。「白の時代」より前のこの時期の印象派の絵は「モンマニーの時代」と呼ばれることがある[38]

アンドレ・ユッテルとの出会い

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ヴァラドン作《アダムとイヴ》

ヴァラドンが画家のアンドレ・ユッテルと出会ったのはこの頃である。もともと実業家のムージスと芸術家のヴァラドンはそりが合わず、ユトリロとムーリスの不和も相俟って、夫婦間の諍いが絶えなかったが、そのような時期に出会ったユッテルは、ヴァラドンに新たなインスピレーションを与える存在であった[30]。ヴァラドンはユッテルをモデルに素描や油彩を次々と描いた。国立美術学校が女性の入学を認めたのは1897年のことであり[20]、しかも、入学が認められた後も女性の画学生は裸体モデルのデッサンが禁じられているなど多くの制約があったため、女性画家が女性の裸体を描くこと自体が例外的であり、したがって、女性が男性の裸体を描くことは、それだけで先駆的なことであった[30]。ユッテルをモデルに描いた作品のうち、代表作は1909年制作の《アダムとイヴ》と1914年制作の《網を打つ人》であり(いずれも国立近代美術館蔵)、これらに描かれる裸の男性は「律動的な力に満ちた男性像」である[30]。《アダムとイヴ》は1920年のサロン・ドートンヌに出展された作品である。当初はアダムの男性器が描かれていたが、サロン・ドートンヌに出展する前に、「おそらくは主催者側の要求により」性器を隠すためにイチジクの葉を描いた[30][39]。この絵はまた、伝統的な絵画におけるアダムとイヴの表象に不可欠であったが描かれていず、特にヴァラドン自身をモデルとするイヴは解放的でのびやかに描かれており、女性画家としてだけでなく、絵画の伝統に対しても、タブーを破る作品である[30][39]

ヴァラドンはムージスに離婚を申し立て、18区アンパス・ド・ゲルマ(現ヴィラ・ド・ゲルマフランス語版)でユッテルと同棲を始め、1911年に離婚が成立した。離婚を申し立てたのはヴァラドンであったが、コルトー通り12番地の地所を所有することは認められたため、1912年にユトリロ、ユッテル、母マドレーヌとともにここに越し、1914年にユッテルと再婚した[40]。マドレーヌはここで1915年に死去した[9]。ユッテルとの関係は、1926年に別居し、ヴァラドンとユトリロがジュノー通りフランス語版に越すまで続く(ユッテルは1948年に死去するまでコルトー通り12番地に住んでいた)[34]

「父」のいない家族の肖像

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ヴァラドン作《家族の肖像》

1912年、ユトリロ、ユッテル、マドレーヌ、そしてヴァラドン自身を描いた《家族の肖像》(オルセー美術館蔵)を制作した。家族像とはいえ、4人は視線を交わすことなく、それぞれ異なった方向を向いている。正面を向いているのはヴァラドンで、ユトリロは頬杖をついて暗い表情である。家族を理想化するのとは逆に、それぞれが異なる歴史を生きた個人の群像であり、にもかかわらず「濃厚な家族の関係性」を漂わせる作品である[30]。1910年制作の《祖母と孫息子》にも同様の雰囲気がある。若桑みどりはこの作品を「彼女(ヴァラドン)の最大の傑作」であり、「完璧で非の打ちどころのない」構図であると評価し[12]、「悲哀と労働の人生を送ってきた」老婆マドレーヌと、彼女を「いたわるようにその膝に手をかけている」老いた犬、そして「一人の孤独な、とぎすまされた魂をもつ男」ユトリロを描いた作品であり、「〈法律〉であり、〈権威〉であり、ときには〈道徳〉でさえある …〈父〉なるものを完全に欠いた聖家族の肖像」であると絶賛している[12]

とはいえ、母ヴァラドンに深い愛を抱いていたユトリロは彼女が友人ユッテルの愛人になったことに嫉妬し、精神的痛手を受けていた。3人の共同生活は互いに激しい愛を抱きながら葛藤に満ちた生活であり、モンマルトルで「地獄の3人組」、「呪われた3人組」として知られることになった[9][23][34]。一方で、こうした葛藤や激情がそれぞれの画家の創造の源泉となり、制作において最も実り多い時期となった[34]

1914年7月に第一次世界大戦が勃発。ユッテルは1914年に9月1日にヴァラドンと正式に結婚した後、9月30日に志願兵として出征した[40]

ヴァラドンはアンデパンタン展、サロン・ドートンヌなど大規模な展覧会に次々と出展し、ユトリロも1910年代に入ると美術評論家のエリー・フォールフランス語版オクターヴ・ミルボーフランシス・ジュールダンフランス語版[41]らに評価されるようになり、1913年にウジェーヌ・ブロフランス語版画廊で最初の個展が行われた[42]。このような画家二人とともに暮らし、「家長役を担わされた」ユッテルは、「家族」を養うために、画商との交渉役を引き受けた[40]。1923年にはコルトー通りのアトリエとは別に、中東部アン県オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏)のサン=ベルナールフランス語版にアトリエを構えた[42]。この地でヴァラドンは、サン=ベルナール城フランス語版やサン=ベルナール教会などの風景画を制作している。後期にかけての彼女の作品にはゴッホ、ゴーギャン、マティスの影響が色濃く、かつての前衛性は影を潜めるが[12]、画題として静物画を多く描いたのも晩年である。

1926年にユッテルと別居し、ジュノー通りに越すことができたのはベルネーム=ジューヌ画廊の支援によって、ここにユトリロ名義で住宅を購入することができたからだとされる[5]。1930年代にはフランス政府がヴァラドンの重要な作品を多数買い上げた。これらは現在、国立近代美術館が所蔵し、その一部は他の国立美術館に展示されている。

1935年、51歳のユトリロはヴァラドンの勧めで、彼女の旧友の資産家の未亡人リュシー・ヴァロール・ポーウェルと結婚した。高齢になったヴァラドンはユトリロより12歳年上のこの女性にユトリロの世話を任せたいと思ったのである[9][20]。《リュシー・ヴァロールの肖像》を描いた1937年の翌1938年4月7日、ヴァラドンは脳溢血のために72歳で死去し、サン=トゥアン墓地(Cimetière parisien de Saint-Ouen)に埋葬された[43]

作品

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先駆性・画風

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上述のように、ヴァラドンは女性画家が多くの制約を受けていた時代に、特に裸体画、それも女性だけでなく男性の裸体画を描いた先駆的な女性画家である。先駆的という意味では少し前のベルト・モリゾ(1841-1895)やメアリー・カサット(1844-1926)と並び称されることがあるが[29]、裕福な家庭に育ったモリゾやカサットと異なり、労働者階級の出身で正規の美術教育を受けていなかったヴァラドンは、むしろそのために伝統的・保守的な画壇とは無縁に、裸体表現を含む自由な独自の画風を切り開くことができた[20]

女性画家として初めて国民美術協会の展覧会への出展が認められ、アンデパンタン展、サロン・ドートンヌなど大規模な展覧会に出展するなど、生前にある程度の名声を得た画家であったが、再評価が始まったのはフェミニズム・アートの紹介や研究が始まった1970年代以降のことである[30]。日本では若桑みどりが1985年発表の『女性画家列伝』の第一章を「底辺の人間性」と題して、一人の画家、一人の女性としてのヴァラドンを論じている(上述)。

力強い線や鮮明な色彩を特徴とするヴァラドンの画風は、野獣派的・表現主義的であり[7]、印象派、むしろポスト印象派の画家とされることが多い[1]

近年はユトリロを通して再評価が進んでおり、2015年には日本でも個展が開かれている。

主な作品一覧

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以下の情報は、各美術館のサイト、2015年に日本で開催された「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 ― スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年」の出展作品一覧[44]、および "Web Gallery of Impressionists"[45] の情報の検証に基づくものである。

国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)蔵

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フランス政府が買い取った作品のほか、個人から寄贈・遺贈された作品を含む。一部は他の国立美術館蔵である。

邦題(試訳) 原題 画材(寸法)
《自画像》 Autoportrait 1883 鉛筆木炭・パステル(43.5 x 30.5 cm)
《画家の母の肖像》 Portrait de la mère de l'artiste 1883 木炭・紅殻チョーク・白チョーク(35.2 x 29.5 cm)
《子どものユトリロ》 Utrillo enfant 1886 紅殻チョーク(34.3 x 29 cm)
《ポール・ムージスと犬》 Paul Mousis et son chien 1891 鉛筆(23.4 x 16.7 cm)
《編み物をする若い女》 Jeune fille faisant du crochet 1892 油彩(46 x 38 cm)
《座る裸のユトリロと坐る彼の祖母》 Utrillo nu et sa grand-mère assis 1892 鉛筆(21.7 x 27.9 cm)
《読書するポール・ムージス》 Paul Mousis lisant 1892 木炭・鉛筆(27 x 22.9 cm)
《祖母に身体を拭いてもらうユトリロ》 Utrillo essuyé par sa grand-mère 1892 鉛筆(23 x 19.8 cm)
《ベルナール・ルメールの母の肖像》 Portrait de la mère de Bernard Lemaire 1892 -93 油彩(17.3 x 11.9 cm)
《ベルナール・ルメール》 Bernard Lemaire 1892-93 油彩(35 x 27 cm)
《エリック・サティの肖像》 Portrait d'Erik Satie 1892-93 油彩(41 x 22 cm)
《裸で座る少女》 Fillette nue assise 1894 木炭・白のグワッシュ(22.7 x 28.9 cm)
《身体を伸ばす裸婦》 Femme nue étendue 1895 リトグラフ(23 x 17 cm)
《スカートを留めながら半裸で立つ女》 Femme à demi-nue, debout, fixant sa jupe 1895 リトグラフ(33.5 x 18 cm)
《長椅子に座る裸のユトリロ》 Utrillo nu assis sur un divan 1895 木炭(19.2 x 20.1 cm)
《裸の子どものユトリロ》 Utrillo enfant nu 1895 木炭(26.3 x 14.6 cm)
《老女と裸の少女》 Vieille femme et fillette nue 1896 紅殻チョーク(33.5 x 25.2 cm)
《二人の裸婦》 Deux nus 1897 木炭(48 x 55.7 cm)
《椅子に座る若いユトリロ》 Utrillo adolescent à la chaise 1900 紅殻チョーク(32.5 x 15.2 cm)
《自画像》 Autoportrait 1903 紅殻チョーク(27.4 x 25.5 cm)
《座る裸婦》 Nu assis 1908 木炭・パステル(53.5 x 47.8 cm)
《アダムとイヴ》 Adam et Eve 1909 油彩(162 x 131 cm)
《二人の人物(入浴後)》 Deux figures (Après le bain) 1909 油彩(101 x 82 cm)
《浴槽から出る裸婦》 Nu sortant du bain 1909 紅殻チョーク・白チョーク(25.5 x 19.8 cm)
《裸のユッテル》 Utter nu 1909 木炭・鉛筆(30.1 x 16.1 cm)
《祖母と孫息子(ユトリロ、彼の祖母、犬)》 Grand-mère et petit-fils (Utrillo sa grand-mère et un chien) 1910 油彩(70 x 50 cm)
《マルト・ジリュー》 Marthe Girieud 1910 木炭(28.9 x 21cm)
《腕を伸ばして座る裸の男(背後から)》 Nu assis de dos tendant le bras 1910-15 鉛筆・青インク(24.3 x 19.4 cm)
《物思いにふけるユトリロ》 Utrillo pensif 1911 木炭(42.5 x 37.5 cm)
《ユッテルの横顔》 Utter de profil 1911 鉛筆(28.5 x 23.5 cm)
《裸のユッテルの横からの像》 Utter nu de profil 1911 木炭(33 x 15.2 cm)
《ユッテルの斜めの像》 Utter de trois-quarts 1911-12 木炭(29 x 21.5 cm)
《画家の母》 La mère de l'artiste 1912 油彩(82 x 62 cm)
《家族の肖像》 Portrait de famille 1912 油彩(97 x 73 cm)オルセー美術館
《女仕立屋》 La Couturière 1914 油彩(80 x 65 cm)オルセー美術館
《網を打つ人》 Le Lancement du filet 1914 油彩(201 x 301 cm)
《鏡に向かう裸婦(身づくろい)》 Nus au miroir (La toilette) 1914 木炭・パステル(51.5 x 37.5 cm)
モーリシア・コキオフランス語版の肖像》 Portrait de Mauricia Coquiot 1915 油彩(93 x 73 cm)
《コルトー通りの庭から見たサクレ=クール寺院》 Le Sacré-Coeur vu du jardin de la rue Cortot 1916 油彩(65 x 54 cm)
《ベルヴィル=シュル=ソーヌ》 Belleville-sur-Saône 1917 紅殻チョーク(21.5 x 28.1 cm)
《黒いヴィーナス》 Vénus noire 1919 油彩(160 x 97 cm)
《ユッテルの家族》 La famille Utter 1921 油彩(95 x 135 cm)
《カルス夫人》 Mme Kars 1922 油彩(73.5 x 54 cm)
《レヴィ夫人》 Mme Lévy 1922 油彩(92 x 73 cm)
《チャールズ・ウェイクフィールド=モリの肖像》 Portrait de Charles Wakefield-Mori 1922 油彩(68 x 55 cm)
《リリー・ワトソン嬢の肖像》 Portrait de Miss Lily Walton 1922 油彩(100 x 81 cm)
《青い寝室》 La Chambre bleue 1923 油彩(90 x 116 cm)
《セガラス城(庭園内の城)》 Le château de Ségalas (Maison dans un jardin) 1923 油彩(73 x 100 cm)
《ユトリロの正面像》 Utrillo de face 1925 木炭(20.3 x 14.1 cm)
《ユトリロの斜めの像》 Utrillo de trois-quarts 1925 木炭(20.4 x 13.9 cm)
《パレットを持つ裸婦》 Nu à la palette 1927 木炭(64 x 45 cm)
《薔薇、アイリス、グラジオラスの花束》 Bouquet de roses, iris et glaïeuls 1928 油彩(92 x 73 cm)
《花》 Fleurs 1929 油彩(61 x 50 cm)アノンシアード美術館フランス語版
《サン=ベルナール教会》 L'église de Saint-Bernard 1929 油彩
《鴨》 Le canard 1930 油彩(73 x 60 cm)
《ロベール・ル・マール博士》 Le docteur Robert Le Masle 1930 油彩(100 x 81 cm)
《サン=ベルナール城》 Le château de Saint-Bernard 1930 木炭(18 x 21 cm)
《花束》 Bouquet de fleurs 1930 油彩(73 x 54 cm)
《薔薇の花束》 Bouquet de roses 1936 油彩(29.5 x 21 cm)

その他、国立近代美術館が所蔵する20枚以上の版画の原版には、裸婦や子どもが描かれているものが多い[46][47]

邦題(試訳) 原題 画材
《裸婦》 Nu 1925 油彩
《織物と花束のある静物画》 Nature morte à la draperie et au bouquet 1924 油彩
《縞のベッドカバーと裸婦》 Nu à la couverture rayée 1922 油彩
《ヴァイオリンケース》 La boîte à violon 1923 油彩
《画架の前のユトリロ》 Utrillo devant son chevalet 1919 油彩
《入浴する三人の裸婦》 Trois baigneuses nues 1935 素描
《母と子》 Mère et enfant 1883 素描

他の美術館蔵

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邦題(試訳) 原題 画材(寸法)
《サーカス》 The Circus 1889 油彩(48.8 x 60 cm)クリーブランド美術館
《身体を拭く女たち》 Women drying herself 1895 エッチング(29.8 x 19.8 cm)国立西洋美術館
《12歳のモーリス・ユトリロ》 Maurice Utrillo à 12 ans 1896 紅殻チョーク・黒鉛(24.3 x 24.3 cm)ギャルリー・デ・モデルヌ(パリ)
《自画像》 Self-Portrait 1898 油彩(40 x 26.7 cm)ヒューストン美術館
《入浴》 The Bath 1905 パステル・黒チョーク(68.5 x 54.8 cm)シカゴ美術館
《入浴》 Le Bain 1908 パステル(60 x 49 cm)グルノーブル美術館
コントラバスを持つ女》 Woman with a Double Bass 1909 油彩、プティ・パレ (ジュネーヴ)
《蛙》 The Frog 1910 パステル・油彩(58.4 x 49.5 cm)バーゼル市立美術館
《生きる喜び》 Joy of Life 1911 油彩(122.9 x 205.8 cm)メトロポリタン美術館
《トランプで占う女》 La tireuse de cartes 1912 油彩(63 x 130 cm)プティ・パレ (ジュネーヴ)
《マリー・コカと彼女の娘》 Marie Coca et sa fille 1913 油彩(161 x 130 cm)リヨン美術館
《髪を結う裸婦》 Nude Doing Her Hair 1916 油彩(104.77 x 75.25 cm)国立女性美術館
《側転》 La roue 1916 油彩(38 x 46 cm)モンマルトル美術館
《裸婦たち》 Nudes 1919 油彩(45 x 31 cm)サンパウロ美術館
《帝政時代風の花瓶の花束》 Bouquet of Flowers in an Empire Vase 1920 油彩(73.02 x 54.61 cm)国立女性美術館
《赤いソファの上の裸婦》 Nu au canapé rouge 1920 油彩、プティ・パレ(ジュネーヴ)
《モーリス・ユトリロの肖像》 Portrait de Maurice Utrillo 1921 油彩(65.5 x 52 cm)ユトリロ・ヴァラドン美術館フランス語版
《捨てられた人形》 The Abandoned Doll 1921 油彩(129.54 x 81.28 m)国立女性美術館
《ザマロン夫人の肖像》 Portrait of Mme Zamaron 1922 油彩(81.5 x 65.6 cm)ニューヨーク近代美術館
《入浴する女たち》 Les baigneuses 1923 油彩(89 x 117 cm)ナント美術館
《白いストッキングの女》 Femme aux bas blancs 1924 油彩、ナンシー美術館
《自画像》 Autoportrait 1927 油彩(62 x 50 cm)ユトリロ・ヴァラドン美術館
《チューリップの花束》 Bouquet de tulipes 1927 油彩(65.4 x 50.2 cm)Galerie De Jonckheere
《横たわる裸婦》 Reclining Nude 1928 油彩(60 x 80.49 cm)メトロポリタン美術館
《ライラックと芍薬》 Lilacs and Peonies 1928 油彩(100 x 81.3 cm)メトロポリタン美術館
《春の花》 Spring Flowers 1928 油彩(81 x 60 cm)コペンハーゲン国立美術館
《花束》 Bouquet de fleurs 1928 油彩、アルベール=アンドレ美術館フランス語版
《低い塀の上の少女》 Girl on a Small Wall 1930 油彩(91.44 x 73.66 cm)国立女性美術館
《青い布を掛けた椅子に座る裸婦》 Nu au châle bleu 1930 油彩(8.85 x 7.75 cm)ウンターリンデン美術館フランス語版
《窓辺の若い女》 Young Girl in Front of a Window 1930 油彩、サンディエゴ美術館英語版
《鴨の卵の入った籠》 Basket of Duck Eggs 1931 油彩、バーゼル市立美術館

個人蔵

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邦題(試訳) 原題 画材(寸法)
《パイプをふかすミゲル・ウトリーリョ(ユトリロ)の肖像》 Portrait de Miguel Utrillo fumant sa pipe 1891 木炭(17.5 x 11 cm)
《脚を拭く裸のカトリーヌ》 Catherine nue s'essuyant la jambe 1894 鉛筆(16 x 15 cm)
《裸のユトリロの身体を拭く祖母》 La Grand-mère essuyant Utrillo nu 1894 リトグラフ(37 x 27 cm)
《裸のユトリロの身体を拭く祖母》 La Grand-mère essuyant Utrillo nu 1894 リトグラフ(38 x 27.5 cm)
《裸で身体を拭くカトリーヌ》 Catherine nue s'essuyant 1895 銅版画(28.5 x 18 cm)
《自画像》 Autoportrait 1903 紅殻チョーク(30 x 23.5 cm)
《鏡の前の裸婦の背中》 Nu de dos devant une glace 1904 パステル(58.7 x 47.9 cm)
《身づくろい》 La toilette 1904-06 鉛筆(17 x 22 cm)
《ピエールフィットの風景》 Paysage à Pierrefitte 1906 油彩(46 x 54 cm)
《自慢の愛犬》 Ma Fière 1908 色鉛筆・パステル(13 x 18 cm)
《肘掛け椅子に座るジュリエット》 Juliette assis au fauteuil 1909 油彩(55.4 x 45.5 cm)
《鏡の前の裸婦》 Nude at the Mirror 1909 油彩
ベルゴデールフランス語版教会、コルシカ島 Église de Belgodère, Corse 1913 油彩(74 x 92 cm)
《身づくろいする女》 Femme à la toilette 1913 油彩
《横たわる犬 習作I》 Chien couché-étude I 1913 木炭・色鉛筆(25.5 x 43 cm)
《横たわる犬 習作II》 Chien couché-étude II 1913 木炭・色鉛筆(25.5 x 43 cm)
《花瓶の薔薇》 Roses in a Vase 1914 油彩(38.5 x 26.5 cm)
《赤い織物の上に横たわる裸婦》 Nu allongé à la draperie rouge 1914 油彩(50.6 x 66 cm)
《試着》 L'essayage 1916 木炭・パステル(61 x 46.5 cm)
《自画像》 Autoportrait 1916 油彩(43.10 x 34 cm)
《薔薇の花束、果物鉢の静物画》 Nature morte au bouquet de roses, compotiers de fruits 1917 油彩(46 x 55 cm)
《女性像》 Portrait of a Woman 1917 油彩
《ソファに横たわる女》 Femme allongée sur un canapé 1917-18 油彩(65.4 x 92.7 cm)
《果物鉢のある静物画》 Nature morte à la coupe de fruits 1918 油彩(38.5 x 53 cm)
《田舎道》 Une route à la campagne 1918 油彩(64.8 x 49.8 cm)
イリニーフランス語版教会》 L'église d'Irigny 1918 油彩(62 x 50 cm)
《二匹の猫》 Two cats 1918 油彩
《猫の習作》 Study of a cat 1918 油彩
《自画像》 Self-Portrait 1918 油彩
《モンコラン農場》 Farm Montcorin 1918 油彩
《花束の前の猫》 Cat Lying in front of a Bouquet of Flowers 1919 油彩(66.4 x 35 cm)
《花瓶に挿した1輪の薔薇》 Rose dans un vase 1919 油彩(35.4 x 27.3 cm)
《ヴィクトリーヌまたは嫉妬深い女》 Victorine ou La tigresse 1919 油彩(61.2 x 50.2 cm)
《織物を持つ裸婦》 Nude Woman with Drapery 1919 油彩
《裸婦の立像と猫》 Nue debout et le chat 1919 油彩(61 x 50 cm)
《コルトー通り12番地、モンマルトル》 12 rue Cortot, Montmartre 1919 油彩(92 x 73 cm)
《丸いテーブルの上の花瓶》 Vase de fleurs sur une table ronde 1920 油彩(73.3 x 53 cm)
《花のある静物画》 Nature morte aux fleurs 1920 油彩(65.1 x 54.5 cm)
《布の上に座る猫ラミヌー》 Raminou sitting on a cloth 1920 油彩
《ソファに横たわる裸婦》 Nude on the sofa 1920 油彩
《ルイゾンと猫ラミヌー》 Louison and Raminou 1920 油彩
《帝政時代風のコーヒーポットに挿された花》 Fleurs dans une cafetière Empire 1920 油彩(61 x 50 cm)
《青いリボンのトルソー》 Torse au ruban bleu 1921 油彩(52.4 x 45.7 cm)
ジュネフランス語版ブルターニュ)の私の窓からの眺め》 View from My Window in Genêts (Brittany) 1922 油彩(80.5 x 59.7 cm)
《草原の榛の木》 L'Aulne dans la prairie 1922 油彩(64 x 54 cm)
《長椅子に座る裸婦》 Nu assis sur un divan 1922 油彩(61 x 46 cm)
《豹皮の上に横たわる裸のカトリーヌ》 Catherine nue allongée sur une peau de panthère 1923 油彩(64.6 x 91.8 cm)
《サン=ベルナール城の塔》 Tour du Château de Saint-Bernard 1924 油彩(80.6 x 65 cm)
《チューリップと果物鉢のある静物画》 Nature morte aux tulipes et compotier de fruits 1924 油彩(80 x 60 cm)
《乳房を露わにした自画像》 Autoportrait aux seins dénudés 1924 油彩(52.1 x 41.9 cm)
《テーブルの上の薔薇の花瓶》 Vase de roses sur un guéridon 1925 鉛筆・油彩(60.6 x 49.8 cm)
《窓辺のジェルメーヌ・ユッテル》 Germaine Utter devant sa fenêtre 1926 油彩(80.8 x 65 cm)
《花と果物が載ったテーブルの片隅》 Coin de table chargé de fleurs et de fruits 1926 油彩(73 x 54.3 cm)
《サン=ベルナールの窓の前の花束》 Bouquet de fleurs devant une fenêtre à Saint-Bernard 1926 油彩(52.7 x 38.1 cm)
《サン=ベルナールの城のテラス(アン県)》 La terrasse du château de Saint-Bernard (Ain) 1927 油彩(81 x 60 cm)
《アルビとミス》 L'arbi et la misse 1927 油彩(32.7 x 44.5 cm)
《ソファに横たわる裸婦》 Nude Reclining on a Sofa 1928 油彩
《コルトー通りの庭》 Le Jardin de la rue Cortot 1928 油彩(73 x 60.2 cm)
《身づくろいをする3人の女》 Trois femmes à sa toilette 1928 リトグラフ(27 x 33 cm)
《浴女の習作》 Esquisse pour les baigneuses 1928 油彩(40.5 x 33 cm)
《林檎の籠、花瓶、葡萄のある静物画》 Nature morte au panier de pommes, vase de fleurs, et raisins 1928 油彩(60 x 50.2 cm)
《水晶の花瓶の花束》 Bouquet dans un vase de crystal 1928 油彩(81 x 65.2 cm)
《ベッドに腰掛ける裸婦》 Nu assis au bord d'un lit 1929 油彩(64.8 x 54.3 cm)
《野兎と雉と林檎のある静物》 Nature morte au lièvre, faisant et pommes 1930 油彩(73 x 92 cm)
《花瓶の中のリラの花束》 Bouquet de Lilas dans un vase 1930 油彩(81 x 65 cm)
《サン=ベルナールの教会(アン県)》 Église de Saint-Bernard (Ain) 1931 油彩(100 x 73 cm)
《猫ラミヌーと水差しのカーネーション》 Raminou et pichet d'oeillets 1932 油彩(51.4 x 62.8 cm)
《ハンモックに横たわる女》 Femme dans un hamac 1932 油彩(81.5 x 100.3 cm)
《花瓶に挿した1輪の薔薇》 Rose dans un vase 1932 油彩(32.8 x 24.3 cm)
《小さなテーブルの上の花束》 Bouquet de fleurs sur une petite table 1932 油彩(65.2 x 54.1 cm)
《花と果物のある静物画》 Nature morte aux fleurs et fruits 1932 油彩(92 x 73 cm)
《アンドレ・ユッテルと彼の犬》 André Utter and His Dogs 1932 油彩
《卵の入った籠》 Panier aux œufs 1932 油彩(26.3 x 34.8 cm)
《ポール・ペトリデスの肖像》 Portrait de Paul Pétridès 1934 油彩(41.5 x 33 cm)
《水晶の花瓶の花束》 Bouquet de fleurs dans un vase de cristal 1934 油彩(73 x 60 cm)
《自画像》 Autoportrait 1934 油彩(41.3 x 33 cm)
《ジュヌヴィエーヴ・カマックス=ゾエガーの肖像》 Portrait de Mme. Geneviève Camax-Zoegger 1936 油彩(55 x 46 cm)
《花》 Fleurs 1936 油彩(33 x 24 cm)
《リュシー・ヴァロールの肖像》 Portrait de Lucie Valore 1936 油彩(56 x 46 cm)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h Pierre Reip (2015年10月6日). “Suzanne ou la transgression du genre” (フランス語). Révolution Permanente. Nouveau Parti Anticapitaliste (NPA), Courant Communiste Révolutionnaire. 2020年2月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Catherine Brun. “Suzanne VALADON (Marie-Clémentine VALADE)” (フランス語). musees-occitanie.fr. Musées d'Occitanie. 2020年2月25日閲覧。
  3. ^ Suzanne Valadon” (フランス語). www.expertisez.com. 2020年2月25日閲覧。
  4. ^ a b c Jeanne Champion (1981) (フランス語). Suzanne Valadon. Flammarion 
  5. ^ a b Toulouse-Lautrec (de) Henri (1864-1901) - 8 mars – Journée internationale des femmes – Hommage à Suzanne Valadon” (フランス語). VisiMuZ Éditions. 2020年2月25日閲覧。
  6. ^ 増田葉子 (2010年2月). “娯楽の街モンマルトルとボヘミアンの芸術家たち”. Maison des Musées du Monde (MMM). 2020年2月25日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l Johanna Brad (2001). “VALADON, Suzanne”. In Jill Berk Jiminez (英語). Dictionary of Artists' Models. Routledge 
  8. ^ a b c d e f g h i j 千葉順「トゥルーズ=ロートレックとシュザンヌ・ヴァラドン ―『酒を飲む女または宿酔』の制作年度をめぐって」『早稲田商学』第281巻、早稲田大学商学部・早稲田商学同攻会、1979年12月、103-119頁、ISSN 0387-3404 
  9. ^ a b c d e f g h Georges Charensol. “Les Beaux-Arts : Suzanne Valadon au Musée National d’Art Moderne” (フランス語). La Revue des Deux Mondes. 2020年2月25日閲覧。
  10. ^ a b Robert Rey (1922) (フランス語). Suzanne Valadon et son œuvre. Gallimard 
  11. ^ FRÉDÉ, GERARD Frédéric”. www.tombes-sepultures.com. Tombes Sépultures dans les cimetières et autres lieux. 2020年2月25日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h 若桑みどり『女性画家列伝』岩波書店岩波新書〉、1985年。 
  13. ^ Le Bois sacré cher aux arts et aux muses, PIERRE PUVIS DE CHAVANNES (LYON, 1824 - PARIS, 1898), 1884” (フランス語). Musée des Beaux-Arts de Lyon. 2020年2月25日閲覧。
  14. ^ The Sacred Grove (1884), Henri de Toulouse-Lautrec (French, 1864–1901)” (英語). artmuseum.princeton.edu. Princeton University Art Museum. 2020年2月25日閲覧。
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  16. ^ Pierre Auguste Renoir, Danse à la ville” (フランス語). www.musee-orsay.fr. Musée d'Orsay. 2020年2月25日閲覧。
  17. ^ a b Jean Fabris. “Biographie de Maurice Utrillo - "Utrillo, Folie?", Paris 1992” (フランス語). www.utrillo.com. Utrillo.com. 2020年2月25日閲覧。
  18. ^ 加藤竹彦. “哀愁の街、巴里の白(旧雨今雨)”. www.i-ise.com. 国際社会経済研究所. 2020年2月25日閲覧。
  19. ^ Autoportrait” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年2月25日閲覧。
  20. ^ a b c d ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 ― スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年 ―(プレスリリース)”. 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 (2015年). 2020年2月25日閲覧。
  21. ^ Lot n° 164 : Théophile Alexandre STEINLEN (1859-1923) Portrait présumé de Suzanne Valadon” (フランス語). www.gazette-drouot.com. Le Gazette Drouot. 2020年2月25日閲覧。
  22. ^ Ressource Histoire des Arts Suzanne Valadon vue par Steinlen” (フランス語). histoiredesarts.culture.fr. Culture.fr. 2020年2月25日閲覧。
  23. ^ a b VALADON, UTRILLO & UTTER À L'ATELIER DE LA RUE CORTOT : 1912-1926” (フランス語). Somogy Éditions d'Art. 2020年2月25日閲覧。
  24. ^ Agathe Lautréamont (2015年12月16日). “Suzanne Valadon, peintre et muse des grands artistes de son temps” (フランス語). Beaux Arts. 2020年2月25日閲覧。
  25. ^ Ramon Casas et Santiago Rusiñol” (フランス語). Aparences. 2020年2月25日閲覧。
  26. ^ Suzanne Valadon” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年2月25日閲覧。
  27. ^ Francis Gouge (2012年10月10日). “Le Chat noir, cabaret extraordinaire” (フランス語). Le Monde.fr. https://www.lemonde.fr/vous/article/2012/10/10/le-chat-noir-cabaret-extraordinaire_1772991_3238.html 2020年2月25日閲覧。 
  28. ^ a b アガト・メリナン「エリック・サティ―“沈黙”の作曲家」『ル・モンド・ディプロマティーク』2016年8月。2024年10月9日閲覧。
  29. ^ a b Dominique Conil (2009年3月10日). “Dame Valadon, fiston Utrillo” (フランス語). Club de Mediapart. 2020年2月25日閲覧。
  30. ^ a b c d e f g h 今野志津「シュザンヌ・ヴァラドンの男性ヌード」『表現文化研究』第3巻第2号、神戸大学表現文化研究会、2004年3月24日、123-137頁、ISSN 13468103 
  31. ^ Histoire et présentation de la Société Nationale des Beaux Arts” (フランス語). Salon des Beaux Arts. 2020年2月25日閲覧。
  32. ^ Suzanne Valadon, de Montmartre au Salon des Beaux Arts” (フランス語). Salon des Beaux Arts (2018年2月28日). 2020年2月25日閲覧。
  33. ^ Suzanne Valadon (1865-1938)” (フランス語). art-deco.france.pagesperso-orange.fr. 2020年2月25日閲覧。
  34. ^ a b c d Suzanne Valadon, Maurice Utrillo, André Utter à l’atelier 12, rue Cortot 1912-1926, COMMUNIQUE DE PRESSE” (フランス語). Musée de Montmartre (2015年6月11日). 2020年2月25日閲覧。
  35. ^ Atelier d'artistes - Musée de Montmartre Jardins Renoir” (フランス語). Musée de Montmartre. 2020年2月25日閲覧。
  36. ^ Maurice Utrillo de retour à Pierrefitte” (フランス語). leparisien.fr. Le Parisien (2009年10月3日). 2020年2月25日閲覧。
  37. ^ Utrillo, solitude urbaine” (フランス語). Léléphant - La revue de culture générale (2017年9月21日). 2020年2月25日閲覧。
  38. ^ Agence des espaces verts d'Ile de France - Parcours Maurice Utrillo” (フランス語). www.aev-iledefrance.fr. 2020年2月25日閲覧。
  39. ^ a b Nathalie Ernoult. “Adam et Eve” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年2月25日閲覧。
  40. ^ a b c Maryse Maréchal. “André Utter” (フランス語). www.utrillo.com. Utrillo.com. 2020年2月25日閲覧。
  41. ^ フランシス ジュールダン”. コトバンク. 2020年2月25日閲覧。 “フランスの作家。…セザンヌ論、ユトリロ論など美術家論もある。”
  42. ^ a b Maurice Utrillo” (フランス語). www.larousse.fr. Éditions Larousse - Encyclopédie Larousse en ligne. 2020年2月25日閲覧。
  43. ^ Visite guidée du cimetière de Saint-Ouen” (フランス語). Explore Paris. 2020年2月25日閲覧。
  44. ^ ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 ―スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年”. 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館 (2015年4月15日). 2020年2月25日閲覧。
  45. ^ Suzanne Valadon”. impressionistsgallery.co.uk. 2020年2月25日閲覧。
  46. ^ Adèle préparant le tub et Ketty aux bras levés” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年2月26日閲覧。
  47. ^ Catherine et jeune garçon nu” (フランス語). www.centrepompidou.fr. Centre Pompidou. 2020年2月26日閲覧。

参考資料

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関連書籍

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関連項目

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外部リンク

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