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ヴァレリアン・ボロフチク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァレリアン・ボロフチク
Walerian Borowczyk
生年月日 (1923-09-02) 1923年9月2日
没年月日 (2006-02-03) 2006年2月3日(82歳没)
出生地 ポーランドの旗 ポーランドクフィルチ
職業 映画監督
主な作品
インモラル物語
罪物語
夜明けのマルジュ
受賞
シッチェス・カタロニア国際映画祭
最優秀監督賞
1981年ジキル博士と女たち
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ヴァレリアン・ボロフチクポーランド語発音: [vaˈlɛrʲjan bɔˈrɔftʂɨk] ヴァレリヤン・ボロフチク; Walerian Borowczyk, 1923年9月2日 - 2006年2月3日)は、ポーランド映画監督。1946年から1988年にかけて40本あまりの映画を撮った。

名前について

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アテネ・フランセ文化センターで行われたポーランド映画祭、及び彼の特集ではヴァレリアン・ボロフチクと表記していたが、公開作が途絶えてビデオ発売、DVDスルーなどが始まるとともに、ボロウズィックボロヴツィクボロフツィックボローズィックボロズウィックなど様々な表記が氾濫した。2006年の国外での訃報記事訃報では、rowをロヴとするボロヴチック(bo-ROV-chick)という発音である伝えるものもあれば、ボロフチックとするものもあった。いずれにしろ、Bo-row-czykという音節である。なお、人名発音のサイトではボロフチックとしている[1][2]

生涯

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ポズナン近郊のクフィルチ英語版に生まれる。クラクフの美術学校で絵画を学ぶ。卒業後、絵画とリトグラフの仕事をしだすが[3]、その中には、映画のポスター制作も含まれる[4]。それらにより、1953年、国の賞を受ける。1959年にパリに移住。

彼の初期の映画は、シュルレアリスムの短編アニメーションだった。中でも評価の高かった作品に、『Był sobie raz(Once Upon A Time)』(1957年)、『Dom(House)』(1958年、ヤン・レニツァ英語版と共同)がある。1959年クリス・マルケルと『宇宙飛行士』を作る。

この時期の主な作品には、『Jeux des anges』(1964年)、ストップモーション・アニメーションの『Renaissance』(1963年)がある。『Renaissance』では、祈祷書やぬいぐるみのおもちゃの破壊を逆回転で描かれる。壊されたものが元の形に修復されていくわけだが、最後に元に戻るのは爆弾であった。

1967年、初の長編アニメーション映画『Théâtre de Monsieur & Madame Kabal: un film dessiné pour les adultes(Mr. and Mrs. Kabal's Theatre)』を撮る。

ボロフチクは、『愛の島ゴトー』(1968年)、『Blanche』(1971年)から、実写による長編映画の製作に移行する。どちらも、嫉妬深い夫とその妻(演じるのはともにリジア・ブラニス)の姦通の物語である。この時期、最も評価されたのは、カンヌ国際映画祭に正式出品作品にも選ばれたステファン・ジェロムスキ原作のポーランド文学の古典の映画化『罪物語』(1975年)である。古典の映画化では、モーパッサン原作で、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した短編『Rosalie』(1966年)もある。

『罪物語』は、誘惑と嬰児殺しというテーマに成功している。『インモラル物語』(1974年)と、スタンダールの『ローマ散歩』にインスパイアされた『修道女の悶え』(1977年)、『愛の化身』(1984年)などでは、独特のシュールな描写が称賛される一方で、中身のないポルノグラフィという批判も受けた。とくに、『インモラル物語』の第5話として企画され後に独立した1本の映画に発展した、プロスペル・メリメの『ロキス』を原作とする『邪淫の館・獣人』(1975年)は、『罪物語』で得た監督の栄誉を著しく貶めることとなった。アド・キルーを著名な批評家が絶賛したフランスでさえ、そうである。

1979年の『ルル』は、同年パリ・オペラ座で3幕補遺版の初公演でも話題となったアルバン・ベルクの歌劇と同じフランク・ヴェーデキントの戯曲《地霊》と《パンドラの箱》をベースにしたものである。

1981年は『ジキル博士とハイド氏』の映画化『ジキル博士と女たち 暴行魔ハイド』をウド・キアパトリック・マギーの主演で取り組む。ここで描かれたジキル博士は、ヴィクトリア時代の道徳に対しての暴力的反乱の象徴だった。キム・ニューマン1988年に出した『Nightmare Movies』という本の中で、この映画について、「暗い、厭世的、おもしろいくらい攻撃的」と述べている。

1984年には『悪魔の三連譜』という短編で一時的にアニメーションに復帰。1987年には、『エマニエル夫人』シリーズの『エマニエル5』を撮る。この映画は、ビデオのみのハードコア・ヴァージョンもある。もっとも彼は、主演女優モニーク・ガブリエルのキャスティングに反対し、完成した映画に満足していなかった。

1988年1990年、フランスのテレビ局M6で『Série rose: Les Chefs d'œuvre de la littérature érotique』というシリーズものの数話を監督。

彼の映画の多くでは、歴史劇のセットが使われている。『濡れた貴婦人』(1984年)ではオウィディウス(映画にも登場し、詩を披露する)の時代の、『Blanche』では中世の、そして『インモラル物語』では、19世紀16世紀、およびローマ教皇アレクサンデル6世が統治する時代が舞台となっている。

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ原作の映画も多い。『インモラル物語』の中の『満潮』、『夜明けのマルジュ』(1976年、原作は『余白の街』)、『インモラル物語2』(1979年)の中の『Marceline』、そして『愛の化身』。1973年の『Une collection particulière』では、マンディアルグはナレーションの台本を書き、ナレーターも勤めている。

映画を離れてからは、『Anatomia diabła(Anatomy of Devil)』(1992年)と、『Moje polskie lata(My Polish Years)』(2002年)という小説を執筆した。

2006年、心不全のため、パリで死去。

フィルモグラフィ (主な作品)

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参考文献

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  • Boro, L'Île d'Amour (2015), edited by Kamila Kuc, Kuba Mikurda, and Michał Oleszczyk. ISBN 978-1-78238-701-5
  • Immoral Tales: European Sex & Horror Movies 1956-1984 (1994) by Cathal Tohill and Pete Tombs (with a chapter dedicated to Borowczyk). ISBN 0-312-13519-X
  • Nightmare Movies (1988) by Kim Newman. ISBN 0-517-57366-0
  • Unquiet Dreams: The Bestiary of Walerian Borowczyk (2015), by Simon Strong, ISBN 0-9923021-6-1
  • Walerian Borowczyk: Cinema of Erotic Dreams (2008), by Jeremy Mark Robinson, Crescent Moon Publisher 2008, ISBN 1-86171-230-8
  • Matthew Coniam. "Angel Games: The Early Films of Walerian Borowczyk" in Andy Black (ed), Necronomicon: The Journal of Horror and Erotic Cinema: Book Two, London: Creation Books, 1998, pp. 79–87.

外部リンク

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