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ヴァレンタイン・ブラウン (初代ケンメア伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代ケンメア伯爵ヴァレンタイン・ブラウン英語: Valentine Browne, 1st Earl of Kenmare1754年1月 – 1812年10月3日)は、アイルランド貴族ホイッグ党穏健派とされた[1]

生涯

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トマス・ブラウン英語版(1726年 – 1795年9月9日。名目上の第4代ケンメア子爵だったが、公式には第6代準男爵として承認されただけだった)とアン・クック(Anne Cooke、トマス・クックの娘)の息子として、1754年1月に生まれた[1]

1795年9月9日に父が死去すると、領地、準男爵位と名目上のケンメア子爵位を継承した[1]。その後、小ピットの推薦により、1798年2月14日にアイルランド貴族であるケンメア子爵キャッスルロス男爵に叙された[1]。さらに1801年1月2日、同じくアイルランド貴族であるケンメア伯爵キャッスルロス子爵に叙された[1]

カトリックだったものの、アイルランド王国グレートブリテン王国合同には支持したという[1]

1812年10月3日にキャッスルロス(Castlerosse)で死去、2人目の妻との間の息子ヴァレンタインが爵位を継承した[1]

家族

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1777年7月7日、シャーロット・ディロン(Charlotte Dillon、1755年9月11日 – 1782年8月15日、第11代ディロン子爵ヘンリー・ディロン英語版の娘)と結婚[1]、1女をもうけた[2]

1785年8月24日、メアリー・エイルマー(Mary Aylmer、1806年10月16日没、マイケル・エイルマーの娘)と再婚[1]、4男2女をもうけた[2]

  • メアリー・アン(Mary Ann、1786年12月15日 – 1840年6月13日) - 1809年1月9日、第7代準男爵サー・トマス・ゲージ英語版(1820年没)と結婚、子供あり。1835年4月22日、ウィリアム・ヴォーン(William Vaughan)と再婚
  • ヴァレンタイン(1788年 – 1853年) - 第2代ケンメア伯爵
  • トマス(1789年 – 1871年) - 第3代ケンメア伯爵
  • ウィリアム英語版(1791年 – 1876年) - 1826年4月29日、アン・フランシス・セグレイヴ(Anne Frances Segrave、トマス・セグレイヴの娘)と結婚
  • マイケル(1793年5月18日 – 1825年)
  • フランシス(Frances、1817年没)

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 114–115.
  2. ^ a b "Kenmare, Earl of (I, 1801 - 1952)". Cracroft's Peerage (英語). 24 September 2006. 2020年4月18日閲覧
アイルランドの爵位
爵位創設 ケンメア伯爵
1801年 – 1812年
次代
ヴァレンタイン・ブラウン
ケンメア子爵
1798年 – 1812年
アイルランドの準男爵
先代
トマス・ブラウン英語版
(モラヒフの)準男爵
1795年 – 1812年
次代
ヴァレンタイン・ブラウン
請求称号
先代
トマス・ブラウン英語版
— 名目上 —
ケンメア子爵
1795年 – 1798年
改めて叙爵された