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ビクトリー船

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ヴィクトリー船から転送)
ビクトリー船
博物館船となったレッド・オーク・ビクトリー(英語版)
基本情報
船種 貨物船
建造所 アメリカ合衆国内6か所
建造期間 1944年-1946年
計画数 615
建造数 534
要目
排水量 15,200トン(喫水28フィート時)[1]
長さ 455フィート(138.7メートル)[1]
62フィート(18.9メートル)[1]
深さ 38フィート(11.6メートル)(甲板からの深さ)[1]
吃水 28フィート(8.5メートル)[1]
主缶 石油ボイラー
主機 蒸気タービン
推進器 スクリュープロペラ×1基
速力 15 - 17ノット(28 - 31 km/h
登録総トン数7,200トン
純トン数4,300トン
載貨重量トン10,600トン[1]
テンプレートを表示

ビクトリー船(ビクトリーせん、英語: Victory ship)は、第二次世界大戦ドイツUボートの攻撃によって失われた船を代替するために北アメリカ造船所で大量に建造された貨物船の型である。これ以前に建造されていたリバティ船に比べてより新しい設計で、いくらか大型になり、より強力な蒸気タービンを備えて、Uボートにとって攻撃するのが難しい高速輸送船団に加入できるよう、より高速を発揮できるようになっていた。合計で531隻のビクトリー船が建造された[2][3]

VC2設計

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カリフォルニア州ロサンゼルスカリフォルニア造船英語版に並ぶビクトリー船

合衆国戦時海運管理局英語版が1942年2月に設立されて最初に行ったことの一つとして、後にビクトリー級として知られることになる船の設計を依頼するということがあった。当初はEC2-S-AP1という記号が与えられており、EC2はEmergency Cargo type 2(積載時水線長400フィートから450フィート、120メートルから140メートル)を、Sは蒸気タービン推進を、AP1は船尾1軸スクリュープロペラを意味した。EC2-S-C1はリバティ船の設計であった。1943年4月28日にビクトリー船という名前が公式に採用され、記号はVC2-S-AP1と改められた。こうした船は、緊急造船計画英語版の下で建造された[1]

ビクトリー船の設計は、大量建造に成功していたリバティ船の拡張であった。ビクトリー船はリバティ船よりいくらか大きく、全長は14フィート(4.3メートル)長い455フィート(139メートル)、幅は6フィート(1.8メートル)広い62フィート(19メートル)、積載時喫水は1フィート深く28フィート(8.5メートル)であった[1]。排水量トンの増加量は1,000トンに満たず、15,200トンであった。船首楼英語版を高くし、より洗練された船殻設計により高い速度を出せるようになっており、リバティ船とはかなり異なった外観となっていた。

Uボートの攻撃に対する脆弱性を減らすため、ビクトリー船はリバティ船より4ノットから6ノット速い、15ノットから17ノット(28 - 31 km/h)を出せるようになっており、航続距離も長くなっていた。速度の向上は、より新しく効率的な機関によって達成されていた。リバティ船には2,500馬力(1,900キロワット)三段膨張蒸気機関が使われていたのに対し、ビクトリー船ではレンツ式レシプロ蒸気機関、蒸気タービンまたはディーゼルエンジンのいずれかを用いるように設計されており、6,000馬力から8,500馬力(4,500キロワットから6,300キロワット)を出した。ほとんどのビクトリー船は、戦争前期には供給が逼迫していて軍艦用に割り当てられていた蒸気タービンを採用していた。全船が石油燃焼ボイラーを装備したが、少数のカナダの船は石炭庫と石油タンクの双方を装備して完成した。他の改善点としては、蒸気駆動の補機を廃して電気駆動としたことが挙げられる。

リバティ船の何隻かで発生した船体の破壊の問題を避けるため、骨格部材の間隔を6インチ(150ミリメートル)広げて36インチ(910ミリメートル)とし、船の剛性を下げた。船体はリベットではなく溶接で組み立てられていた[4]

VC2-S-AP2型、VC2-S-AP3型およびVC2-M-AP4型には、対潜水艦用および対水上艦艇用として1門のMk 12 5インチ砲が船尾に装備され、また対航空機用として1門のMk 22 3インチ砲と8丁のエリコンKA 20 mm 機関砲が船首に装備されていた。こうした武装にはアメリカ合衆国海軍武装警備隊[訳語疑問点]の要員が配置されていた。VC2-S-AP5型のハスケル級英語版攻撃輸送艦は5インチ砲、4連装ボフォース 60口径40mm機関砲1門、2連装ボフォース 40mm機関砲4門、単装20mm機関砲10門を装備していた。ハスケル級にはアメリカ合衆国海軍の要員のみが乗り組んでいた。

ビクトリー船は、当時の貨物船としては船倉英語版間の容積の比率が優れていたことで特筆される。ビクトリー船には5つの船倉があり、第1、第2、第5船倉はそれぞれ70,400、76,700、69,500立方フィートの容積があった。第3、第4船倉はそれぞれ136,100、100,300立方フィートの容積があった[5]。ビクトリー船にはマスト、ブーム、デリッククレーンを備えており、必要であれば岸壁側のクレーンやガントリーがなくても自力で貨物を積み降ろしすることができた[6]

建造

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最初のビクトリー船はユナイテッド・ビクトリー英語版で、オレゴン造船英語版において1944年1月12日に着工し、2月28日に完成して、その1か月後に処女航海を行った。アメリカ向けの船は、船名に「ビクトリー」を含む単語を使っていた。イギリス向け、カナダ向けはそれぞれ「フォート」および「パーク」を含んでいた。最初のユナイテッド・ビクトリーの後、34隻は連合国の国名にちなんで名づけられ、さらにその次の218隻はアメリカ合衆国の都市にちなんで名づけられ、その次の150隻は教育機関の名前にちなんで名づけられ、そして残りは様々な名前が与えられた。AP5型攻撃輸送艦に関しては、「ビクトリー」を含まず、アメリカ合衆国のの名前が付けられているが、1隻のみフランクリン・ルーズベルト大統領の末期の個人秘書であったマービン・マッキンタイヤ英語版にちなんでマービン・H・マッキンタイヤ英語版と名付けられた。

当初の就役はゆっくりで、1944年5月までに就役したのは15隻のみであったが、戦争終結までには531隻が建造された。管理局は、その後の132隻の発注をキャンセルしたが、アルコア汽船会社向けに1946年に3隻が建造されて、アメリカ合衆国での総建造数は534隻となった。

戦時海運管理局提供の1944年初期のカリフォルニア造船におけるビクトリー船建造の様子と、1945年5月時点のトン数ベースの建造量表
ビクトリー船の機関室
アメリカ合衆国のビクトリー船建造
建造隻数 備考
272 VC2-S-AP2 6,000馬力 (4.5 MW) 一般貨物船
141 VC2-S-AP3 8,500馬力 (6.3 MW) 一般貨物船
1 VC2-M-AP4 ディーゼルエンジン搭載型
117 VC2-S-AP5 ハスケル級攻撃輸送艦英語版
3 VC2-S-AP7 戦後完成型

戦時建造中、414隻が一般貨物船で、117隻が攻撃輸送艦であった[1]。最初のビクトリー船が登場した時点で大西洋の戦いはほぼ連合国の勝利に帰していたので、Uボートによって撃沈された船はなかった。3隻が1945年4月に日本の神風特別攻撃隊により撃沈されている。

第二次世界大戦後、マジック・カーペット作戦英語版でアメリカ合衆国の将兵を帰国させるために、多くのビクトリー船が軍隊輸送船に改造された。合計で97隻のビクトリー船が、1隻あたり1,600人の将兵を運べるように改造された。改造にあたって、1つの寝床を複数人で交代使用するベッドまたはハンモックを縦3段に重ねたものと、食堂、運動室などが船倉にしつらえられた[7]

36隻ほどのビクトリー船が運用を続け、朝鮮戦争にも用いられ、またベトナム戦争では100隻のビクトリー船が用いられた。多くの船は売却されて商用の貨物船となり、わずかな船が旅客船となった。一部は合衆国海軍予備艦艦隊英語版として係留され、その後解体されるか再使用された。多くの船は戦後改造され、何年にもわたって様々な用途に用いられた。1隻のVC2-M-AP4型ディーゼルエンジン搭載のエモリー・ビクトリーは、インディアン事務局によってノース・スターIIIとしてアラスカ水域で運用された[1]。AP3型のサウス・ベンド・ビクトリーおよびタスキーギー・ビクトリーは、1957年から1958年にかけて海洋観測船のバウディッチ英語版およびダットン英語版にそれぞれ改造された[1]。ダットンは、1966年に起きたパロマレス米軍機墜落事故で行方不明になった水素爆弾の探索作業に用いられた[8]

1959年から、予備艦隊から数隻の船を抽出して、アメリカ航空宇宙局 (NASA) 向けの装備をおこなった。例として、キングスポート・ビクトリーはキングスポート英語版と改名されて、世界で最初の衛星通信船に改造された。またハイチ・ビクトリー英語版はロングビューと改称され、初めて軌道から地球に戻ってきた人工物であるディスカバラー13号のノーズコーンを1960年8月11日に回収した。シェバーン英語版は1969年から1970年にかけて距離計測船のレンジ・センティネルに改造され、弾道ミサイル試験の軌道に沿った追跡を行った[1]

4隻のビクトリー船が、展開中の潜水母艦へ魚雷、ポセイドンミサイル、パッケージ化された石油、予備部品を運搬する弾道ミサイル貨物船となった[1]

  • ノーウォーク (T-AK-279) - ノーウォーク・ビクトリーとして建造
  • ファーマン (T-AK-280) - ファーマン・ビクトリーとして建造
  • ビクトリア (T-AK-281) - エチオピア・ビクトリーとして建造
  • マーシュフィールド (T-AK-282) - マーシュフィールド・ビクトリーとして建造

1960年代にはアメリカ海軍によって2隻のビクトリー船が再稼働され、技術調査艦英語版に改造され、船体分類記号はAGTRとされた。イラン・ビクトリーがベルモント英語版となり、シモンズ・ビクトリーがリバティーとなった。リバティーは1967年6月にイスラエル軍から攻撃を受けて大きく損傷し(リバティー号事件)、その後退役して海軍籍から除籍された。ベルモントは1970年に退役した。バトンルージュ・ビクトリーは1966年8月に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の設置した機雷によってメコン川デルタ地帯に沈められ、一時的にサイゴンへの水路を塞いだ[1]

造船所

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ほとんどのビクトリー船は、第二次世界大戦においてリバティ船、ビクトリー船やその他の船を建造するために設置された、西海岸にある6か所の造船所およびボルチモアの緊急造船所で建造された。ビクトリー船はこうした造船所にある能力の小さなクレーンで組み立てられるように設計された[1]。一部の船はイギリスやカナダで建造された。

ビクトリー船を建造したアメリカ合衆国の造船所[9][10]
造船所 位置 建造隻数 型別隻数 MCV船体番号 備考
ベスレヘム・フェアフィールド造船所 メリーランド州ボルチモア 94   VC2-S-AP2 93   602-653, 816-856 23隻キャンセル
VC2-M-AP4 1   654 ディーゼルエンジン搭載型
カリフォルニア造船英語版 カリフォルニア州ウィルミントン 131   VC2-S-AP3 32   1-24, 27, 29, 31–33, 37, 41, 42
VC2-S-AP5 30   25, 26, 28, 30, 34-36, 38-40, 43-62 63-66はバンクーバー建造に移管され812-815となった
VC2-S-AP2 69   67-84, 767-811, 885-890 10隻キャンセル
カイザー造船所 ワシントン州バンクーバー 31   VC2-S-AP5 31   655-681, 812-815 17隻キャンセル
オレゴン造船英語版 オレゴン州ポートランド 136   VC2-S-AP3 99   85-116, 147-189, 682-701, 872-875 19隻キャンセル
VC2-S-AP5 34   117-146, 860-863 12隻キャンセル
VC2-S-AP7 1   866 当初AP5型
VC2-S1-AP7 2   876, 877 当初AP3型
パーマネンテイ/カイザー造船所1 カリフォルニア州リッチモンド 53   VC2-S-AP3 10   525-534
VC2-S-AP2 43   535-550, 581-596, 702-711
パーマネンテイ/カイザー造船所2 89   VC2-S-AP5 22   552-573
VC2-S-AP2 67   574-580, 597-601, 712-766

ビクトリー船の型

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フロリダ州タンパで保存されているアメリカン・ビクトリー英語版

残っているビクトリー船の状況

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アメリカン・ビクトリーの右舷上部構造物

3隻が博物館船として一般公開されている。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Culver, John A., CAPT USNR "A time for Victories" United States Naval Institute Proceedings February 1977 pp. 50–56
  2. ^ Jaffee, Capt. Walter W., The Lane Victory: The Last Victory Ship in War and in Peace, 2nd ed., p. 14, The Glencannon Press, Palo Alto, CA, 1997.
  3. ^ MARAD, Victory Ship, U.S. Maritime Commission design type VC2-S-AP2
  4. ^ Victory Ship Design”. GlobalSecurity.org. 2019年6月14日閲覧。
  5. ^ An Analysis of General Cargo Handing Problems, Developments, and Proffered Solutions, BY L. H. QUACKENBUSH, ASSOCIATE
  6. ^ Cargo hold tour, SS Lane”. 2 August 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。9 January 2017閲覧。
  7. ^ Chapter 2 After ASTP, Across the Atlantic to England Under Siege, By Lester Segarnick
  8. ^ Melson, Lewis B., CAPT USN "Contact 261" United States Naval Institute Proceedings June 1967
  9. ^ WWII Construction Records – Private-Sector Shipyards that Built Ships for the U.S. Maritime Commission”. 2006年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年11月3日閲覧。
  10. ^ Victory Ships built by the United States Maritime Commission during World War II – Listed by Shipyard”. 2006年11月4日閲覧。
  11. ^ The Sian Yung, by: Charles W. Hummer, Jr., BHS '55
  12. ^ Sian Yung Sinks in the Canal by C. W. “Chuck” Hummer, Jr.
  13. ^ Sian Yung sunk in the Culebra Cut

参考文献

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  • SS American Victory Web site
  • SS Lane Victory Web site
  • U-Boat net
  • United States National Park Service document on historical significance of SS Red Oak Victory
  • Lane, Frederic, Ships for Victory: A History of Shipbuilding under the U.S. Maritime Commission in World War II. Johns Hopkins University Press, 2001. ISBN 0-8018-6752-5
  • Sawyer L. A., and W. H. Mitchell, Victory Ships and Tankers; the history of the "Victory" type cargo ships and of the tankers built in the United States of America during World War II. Cambridge, Maryland: Cornell Maritime Press, 1974
  • Heal, S. C., A Great Fleet of Ships: The Canadian Forts and Parks. Vanwell, 1993 ISBN 978-1551250236

外部リンク

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