ヴィクトル・シーグ
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ヴィクトル・シーグ Victor Sieg | |
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基本情報 | |
生誕 |
1837年8月8日 フランス共和国 テュルクアイム |
死没 |
1899年4月6日(61歳没) フランス共和国 コルマール |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家、オルガニスト |
シャルル=ヴィクトル・シーグ(Charles-Victor Sieg 1837年8月8日 - 1899年4月6日)は、フランスの作曲家、オルガニスト。1864年に劇的カンタータ『Ivanhoé』を作曲してローマ賞を受賞した[1]。
生涯
[編集]フランス、アルザスの小さな村テュルクアイムに生まれた。父のコンスタン・シーグ(1807年-1891年)は作曲家で、コルマールのサン=マルタン教会のオルガニストだった[2]。シーグははじめ父から学び、パリ音楽院に入学するとフランソワ・ブノワ(オルガン)とアンブロワーズ・トマ(作曲)に師事した。1863年にオルガンで音楽院の一等賞を獲得、翌年にはカンタータ『Ivanhoé』でローマ賞を受賞した。これはウォルター・スコットが1820年に著した小説『アイヴァンホー』を基に、ヴィクトル・ルシー(Victor Roussy)が執筆したフランス語のテクストに曲を付けたものである[注 1]。初演は1864年11月18日にオペラ座でジャン・モレールをタイトル・ロールに迎えて行われ、好評を博した[4]。
後年『3つの即興曲』、『タランテラ』、『カプリス=ワルツ』など数曲のピアノ曲を出版するも、『Ivanhoé』はシーグの唯一の大作となった。ローマではオペラ・コミックを手掛けて帰国し、パリでノートルダム・ド・クリニャンクール教会のオルガニストの職に就くと教職に専心した。サン=メリ教会のオルガニストも引き受け、パリ市内の学校で歌唱監査人を務めた。1899年にコルマールで61年の生涯を閉じた[4][5][6]。テュルクアイムのヴィクトル・シーグ通りは彼の栄誉にちなんで命名された[7]。
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ Gérard, Yves (2010). "Saint-Saëns and the Prix de Rome: Scandal(s)?". Camille Saint-Saëns (1835-1921): Music for the Prix de Rome, pp. 17–18. Glossa GCD922210
- ^ Waltz, André (1902). Bibliographie de la ville de Colmar, p. 202. J.B. Jung & Cie.
- ^ Hamer, Laura (2018). Female Composers, Conductors, Performers: Musiciennes of Interwar France, 1919–1939, p. 143. Routledge. ISBN 1315451476
- ^ a b Pougin, Arthur (16 April 1899). "Nécrologie", Le Ménestrel, p. 128
- ^ Bisson, Alexandre; Lajarte, Théodore; Baudouin, Georges (1884). "Sieg (Charles-Victor)". Petite encyclopédie musicale, Vol. 2, , p. 333. A. Hennuyer
- ^ Gazzetta Musicale di Milano: 1866-1902, Volume 5, p. 1647 (republished by NISC in 2008)
- ^ Billich, André (1975). Histoire d'une ancienne ville impériale: Turckheim, pp. 83 and 171. Éditions Alsatia