ヴィゲリヒ
ヴィゲリヒ Wigerich | |
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ロタリンギア宮中伯 | |
在位 | 915年 - 922年 |
出生 |
870年ごろ |
死去 |
922年以前 |
埋葬 | アスティエール修道院? |
配偶者 | キュネゴンド(クニグンデ) |
子女 |
アダルベロン1世 ゴツェロ フリードリヒ1世 ジークフリート ギゼルベルト |
家名 | アルデンヌ家 |
ヴィゲリヒ(Wigerich, Widericus, Windericus, Widiacus, 870年ごろ - 922年以前)は、ロタリンギアの伯爵。アルデンヌ家の祖と考えられている。初代ロタリンギア宮中伯 (在位:915年 - 922年)。
生涯
[編集]ヴィゲリヒ(Widiacus)は、トリーアで書かれたロタリンギア王ツヴェンティボルトからの手紙の中で、899年に有力な伯爵(comes venerabilis)として言及されている[1]。
東フランク王ルートヴィヒ4世が発行した902年9月19日付の文書より、ヴィゲリヒがトリーアに対し伯としての権限を持っていたことが分かる[2]。
ヴィゲリヒは902年および909年にビドガウ伯[3]、915/916年からはロタリンギア宮中伯でもあった[4]。
また、ヴィゲリヒはメヘレンの聖ルモルドゥス修道院(リエージュ司教の領地として)とアスティエール修道院のフォークタイを領有し、911年から915年の間に西フランク王シャルル3世が作成した文書において、ヴィゲリヒと息子アダルベロンに認められている[5]。
ヴィゲリヒはアスティエール修道院を創建し、同修道院に埋葬されたとみられる。
家族
[編集]ヴィゲリヒはゴルズおよびヴェルダン(聖ヴァンヌ修道院)の修道院長フリードリヒの兄弟である。恐らくヴィゲリヒは(アルデンネンガウ、ビドガウおよびブリースガウの)伯オドアケルの息子とみられる。
ヴィゲリヒは西フランク王ルイ2世の孫キュネゴンド(クニグンデ、890/95年生)と結婚した。キュネゴンドはレニエ家のエノー伯レニエ1世の娘とも考えられている。ヴィゲリヒとキュネゴンドの間には以下の子女が生まれた。
- アダルベロン1世(910年 - 962年4月26日) - メッツ司教(929年 - 962年)
- ゴツェロ(914年頃 - 942年4月19日) - ビドガウ伯。930年にメッツ伯ゲルハルト1世の娘オーダ(905年 - 963年4月10日)と結婚した。
- フリードリヒ1世(912年 - 978年) - バル伯、上ロートリンゲン公(959年 - 978年)
- ジークフリート(915/17年 - 997年) - モーゼルガウ伯
- ギゼルベルト - アルデンネンガウ伯
また、以下の2人もヴィゲリヒの子とされることがある。
これら2人はロリックの息子ヴィゲリヒの子である。このヴィゲリヒも同時期にビドガウにおいて存在が確認されている[8]。
脚注
[編集]- ^ Beyer (1860), p. 212.
- ^ Theodor Schieffer (Hrsg.): Diplomata 11: Die Urkunden Zwentibolds und Ludwigs des Kindes (Zwentiboldi et Ludowici Infantis Diplomata). Berlin 1960, pp. 120–121 (MGH online). ヴィゲリヒはWigericusとして記されている。
- ^ Beyer (1860), S. 216 ff. ヴィゲリヒはWidricusとして記されている。
- ^ Beyer (1860), p. 222 f. ヴィゲリヒはWidricusとして記されている。
- ^ Henri-Camille Wampach: Urkunden- und Quellenbuch zur Geschichte der altluxemburgischen Territorien bis zur burgundischen Zeit. I, Luxemburg 1935, pp. 164–166. ヴィゲリヒはWindricusとして記されている。
- ^ Beyer (1860), p. 266.
- ^ Beyer (1860), p. 289 f.
- ^ Beyer (1860), p. 218.
参考文献
[編集]- Leopold von Eltester (1897). "Wigerich". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 42. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 461.
- Van Droogenbroeck, F. J., 'Paltsgraaf Wigerik van Lotharingen, inspiratiebron voor de legendarische graaf Witger in de Vita Gudilae', Eigen Schoon en De Brabander 93 (2010) 113-136.
- Heinrich Beyer (ed.): Urkundenbuch zur Geschichte der jetzt die Preussischen Regierungsbezirke Coblenz und Trier bildenden mittelrheinischen Territorien. Erster Band. Von den ältesten Zeiten bis zum Jahre 1169. Coblenz 1860. 続巻: Leopold Eltester (2. Band), 1865. Adam Görz (3. Band), 1874. Band 4およびBand 5はAlbert Hardtによって書かれ、2007年にUrkundenbuch zur Geschichte der mittelrheinischen Territorienという書名で出版されている(Digitalisat on dilibri.de)。
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