初桜 (駆逐艦)
艦歴 | |
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計画 | 1944年(昭和19年)度計画 |
建造所 | 横須賀海軍工廠 |
起工 | 1944年12月14日 |
進水 | 1945年2月10日 |
竣工 | 1945年5月28日 |
除籍 | 1945年9月15日 |
その後 | 1947年7月29日ソ連へ引き渡し |
要目(計画値) | |
排水量 | 基準:1,262トン 公試:1,530トン |
全長 | 100.00m |
全幅 | 9.35m |
吃水 | 3.30m |
主缶 | ロ号艦本式缶2基 |
主機 | 艦本式タービン2基2軸 19,000馬力 |
速力 | 27.8ノット |
航続距離 | 18ノットで3,500海里 |
燃料 | 重油370トン |
乗員 | 211名 |
兵装 | 40口径12.7cm単装高角砲 1基 40口径12.7cm連装高角砲 1基 25mm連装機銃 4基 25mm単装機銃 12基 61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし) 九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発) 四式水中聴音機 |
初桜(はつざくら)は日本海軍の駆逐艦。仮称5522号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1艦として横須賀海軍工廠で建造された。
艦名は「その年初めて開いた桜の花、また、咲いてまもない桜の花」[1]のこと。
艦歴[編集]
竣工[編集]
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入され[3]、特令あるまで待機を行うよう命じられ[4]、6月4日付で「潮」とともに横須賀鎮守府部隊に編入され[5]、そのまま無傷で終戦を迎えた。
終戦後[編集]
8月27日、連絡のための軍使と水先案内人を送るため、相模湾で戦艦ミズーリを中心とする連合国の艦隊と会合した[2]。翌28日、ミズーリその他の連合国艦隊200隻は初桜の先導の下、東京湾に入港した。機雷原があるため一列縦隊で進入した[6]。
9月15日除籍。12月1日特別輸送艦に指定され、復員輸送に従事。
その後、ソ連へ賠償艦として引き渡すことになり、1947年(昭和22年)7月5日には佐伯にて「風のある、軽薄な」という意味のヴェートレンヌイ(ロシア語:Ветреныйヴィェートリェンヌィイ)に改称され、艦隊水雷艇(駆逐艦のこと)としてソ連海軍へ編入された。7月29日[2]、ナホトカでソ連側に引渡され、1947年8月中旬にはウラジオストクへ回航された。10月22日には艦名は「表情豊かな、意味深長な」という意味のヴィラジーテリヌィイ(Выразительныйヴィラズィーチェリヌィイ)に改称された。
ソ連海軍[編集]
ヴィラジーテリヌィイは1949年までウラジオストクに係留されたが、同年3月中旬には標的艦に類別を変更された。6月17日には、TsL-26(ЦЛ-26ツェエール・ドヴァーッツァチ・シェースチ、「TsL」は「標的艦」(корабль цель)の略)に改称された。1951年から1953年にかけてソヴィエツカヤ・ガヴァニにあった第199造船工場の施設にて中期修理を受けた。これにより、同型艦とあわせて標的艦仕様に改修された。1959年2月19日には退役し、解体された。
ヴェートレンヌイという名称を持つ駆逐艦はその後は建造されなかったが、ヴィラジーテリヌイの艦名は30-bis号計画型駆逐艦に受け継がれた。
歴代艦長[編集]
※『艦長たちの軍艦史』372頁による。
艤装員長[編集]
- 青木厚一 大尉 1945年4月20日-
駆逐艦長[編集]
- 青木厚一 大尉 1945年5月28日-
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年五月一日至昭和二十年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128000
- 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年六月一日至昭和二十年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年七月一日至昭和二十年七月十五日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128100
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 「歴史群像」編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年。 ISBN 4-05-603251-3