ヴィルヘルム・ケトラー
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ヴィルヘルム・ケトラー Wilhelm Kettler | |
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クールラント・ゼムガレン公 | |
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在位 | 1595年 - 1616年 |
出生 |
1574年6月20日 クールラント・ゼムガレン公国、ミタウ |
死去 |
1640年4月7日(65歳没) ポンメルン公国、ククロヴァ修道院 |
配偶者 | ゾフィー・フォン・プロイセン |
子女 | ヤーコプ |
家名 | ケトラー家 |
父親 | ゴットハルト・ケトラー |
母親 | アンナ・フォン・メクレンブルク=ギュストロウ |
ヴィルヘルム・ケトラー(Wilhelm Kettler、1574年6月20日 - 1640年4月7日)は、クールラント・ゼムガレン公(在位:1595年 - 1616年)。ヴィルヘルムが公国の東部地域を支配し、兄のフリードリヒが西部地域を支配する分割統治体制の下で公爵を務めた。
生涯
[編集]ヴィルヘルムはゴットハルト・ケトラーとその妻アンナ・フォン・メクレンブルク=ギュストロウとの間に生まれた下の息子である。1587年に父が死んだあとは兄フリードリヒが公国の単独統治者だったが、1595年に公国を兄弟で分割統治することが決まり、ヴィルヘルムはクルディーガに居館を置き、クールラント・ゼムガレン公国のうち西側のクールラント地域を支配した。1609年、プロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの娘ゾフィーと結婚し、その際に婚資として義父からグロビニャを譲られた。
貴族たちと対立した結果、ヴィルヘルムは1616年にクールラントにいられなくなり、公爵位を退いて国外に亡命した。ヴィルヘルムは1640年にポンメルンのククロヴァ修道院で死去した。息子のヤーコプ・ケトラーは1642年に父の遺骸とともに公国に帰り、伯父のフリードリヒからクールラント公爵を引き継いだ。ヴィルヘルムの遺骸は1643年2月23日に公爵家の納骨堂に安置された。
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