ヴィルヘルム (ナッサウ公)
表示
ヴィルヘルム Wilhelm | |
---|---|
ナッサウ公 | |
| |
在位 | 1816年 - 1839年 |
全名 |
一覧参照
|
出生 |
1792年6月14日 神聖ローマ帝国 ナッサウ=ヴァイルブルク侯領、キルヒハイムボーランデン |
死去 |
1839年8月20日(47歳没) バイエルン王国、バート・キッシンゲン |
配偶者 | ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン |
パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルク | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ナッサウ家 |
父親 | ナッサウ=ヴァイルブルク侯フリードリヒ・ヴィルヘルム |
母親 | ルイーゼ・フォン・キルヒベルク |
ヴィルヘルム・ゲオルク・アウグスト・ハインリヒ・ベルグス・ツー・ナッサウ(Wilhelm Georg August Heinrich Belgus zu Nassau, 1792年6月14日 - 1839年8月20日)は、ナッサウ公(在位:1816年 - 1839年)。最後のナッサウ公でもあったルクセンブルク大公アドルフの父。
生涯
[編集]ナッサウ=ヴァイルブルク侯フリードリヒ・ヴィルヘルムとその妻でザイン=ハヒェンブルク伯領の女子相続人であるルイーゼ・フォン・キルヒベルクの間の長男として、プファルツ地方のキルヒハイムボーランデンに生まれる。1816年1月9日に父の死にともないナッサウ=ヴァイルブルク侯位を相続、その2カ月後にナッサウ=ウジンゲン家のフリードリヒ・アウグストからナッサウ公位を継承した。同年のうちに、それまで分かれて存在していたナッサウ=ヴァイルブルク侯領をナッサウ公国へ統合した。
1813年6月24日に、ヴィルヘルムは最初の妻ルイーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン(1794年 - 1825年、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公(のちザクセン=アルテンブルク公)フリードリヒの娘)と結婚した。2人の間には4男4女が生まれた。
- アウグステ・ルイーゼ・フリーデリケ・マクシミリアーネ・ヴィルヘルミーネ(1814年)
- テレーゼ・ヴィルヘルミーネ・フリーデリケ・イザベラ・シャルロッテ(1815年 - 1871年) - オルデンブルク公子ペーターの妃
- アドルフ・ヴィルヘルム・カール・アウグスト・フリードリヒ(1817年 - 1905年) - ナッサウ公、のちルクセンブルク大公
- ヴィルヘルム・カール・ハインリヒ・フリードリヒ(1819年 - 1823年)
- モーリッツ・ヴィルヘルム・アウグスト・カール・ハインリヒ(1820年 - 1850年)
- マリー・ヴィルヘルミーネ・ルイーゼ・フリーデリケ・ヘンリエッテ(1822年 - 1824年)
- ヴィルヘルム・カール・アウグスト・フリードリヒ(1823年 - 1828年)
- マリー・ヴィルヘルミーネ・フリーデリケ・エリーザベト(1825年 - 1902年) - ヴィート侯ヘルマンの妃
ルイーゼと死別後、ヴィルヘルムは1829年4月23日にヴュルテンベルク王子パウルの娘パウリーネ(先妻ルイーゼの姪)と再婚した。2人の間には4子が生まれた。
- 女子(1830年)
- ヘレーネ・ヴィルヘルミーネヘンリエッテ・パウリーネ・マリアンネ(1831年 - 1888年) - ヴァルデック侯ゲオルク・ヴィクトルの妃。
- ニコラウス・ヴィルヘルム(1832年 - 1905年)
- ゾフィア・ヴィルヘルミーネ・マリアンネ・ヘンリエッテ(1836年 - 1913年) - スウェーデン王オスカル2世の妃。
|
|
|
|