ヴィレム・フルッサー
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ヴィレム・フルッサー(Vilém Flusser, 1920年5月12日- 1991年11月27日)は、チェコスロバキア出身の哲学者。
プラハに住むユダヤ人家庭に生まれた。1938年、プラハ・カレル大学に入学し哲学を専攻。しかし1939年3月、チェコスロバキアはナチス・ドイツによって解体される。フルッサーは、のちに妻となる Edith Barth と彼女の両親とともにロンドンに逃れた。彼の親族はすべてナチスの収容所で命を落とした。
1940年、ブラジルに亡命。写真等のメディアに関する哲学を展開した。サンパウロ大学などで教鞭を執った。1991年、講演旅行の為に亡命後初めて故郷プラハに里帰りしたフルッサーは自動車事故に遭遇し、その生涯を終えた。1990年代には、主にドイツ語圏でその思想がブームとなった。
著書
[編集]日本語訳
[編集]- 『写真の哲学のために : テクノロジーとヴィジュアルカルチャー』深川雅文訳(勁草書房、1992年)
- 『サブジェクトからプロジェクトへ』村上淳一訳(東京大学出版会、1996年)
- 『デザインの小さな哲学』瀧本雅志訳(鹿島出版会、2009年)
- 『テクノコードの誕生 コミュニケーション学序説』村上淳一訳(東京大学出版会、1997年。ちくま学芸文庫、2023年)