ヴェンツェル (ザクセン選帝侯)
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ヴェンツェル Wenzel | |
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ザクセン選帝侯 | |
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在位 | 1370年 - 1388年 |
別号 | リューネブルク侯 |
在位 | 1370年 - 1388年 |
出生 |
1337年 |
死去 |
1388年5月15日 神聖ローマ帝国 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、リューネブルク侯領、ツェレ |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、リューネブルク侯領、リューネブルク、聖ミヒャエル教会 |
配偶者 | ツェツィーリエ・ダ・カッラーラ |
子女 |
ルドルフ3世 ヴェンツェル エーリヒ アンナ アルブレヒト3世 マルガレーテ |
家名 | アスカーニエン家 |
父親 | ルドルフ1世 |
母親 | アグネス・フォン・リンドウ |
ヴェンツェル(Wenzel, 1337年 - 1388年5月15日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、ザクセン選帝侯(在位:1370年 - 1388年)、リューネブルク侯(在位:同)。ザクセン選帝侯ルドルフ1世とアグネス・フォン・リンドウの子。ザクセン選帝侯ルドルフ2世の異母弟。
生涯
[編集]1370年に亡くなった異母兄ルドルフ2世に子がないため、後を継いだ。1376年の神聖ローマ皇帝カール4世の長男ヴェンツェルのローマ王選出に投票、帝国の事務に携わっていた。甥のアルブレヒト3世[1]と共にリューネブルクを治めていたが、1385年の彼の死後、女婿のベルンハルト1世[2]が反旗を翻し、1388年、ツェレ近郊のウィンゼン・デア・オーラーでヴェンツェルを打ち破った。ヴェンツェルは反撃しようとしたが、ツェレ包囲中に急死(毒殺説もある)。
ザクセンは息子のルドルフ3世、リューネブルクはベルンハルト1世とハインリヒ1世兄弟がそれぞれ治める事になった。
子女
[編集]1376年、パドヴァでパドヴァ領主フランチェスコ1世・ダ・カッラーラの娘ツェツィーリエと結婚、6人の子を儲けた。
- ルドルフ3世(1378年頃 - 1419年)
- ヴェンツェル(? - 1402年)
- エーリヒ - 夭折
- アンナ(? - 1426年) - 1386年にヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世と結婚、死別後はテューリンゲン方伯バルタザールと再婚。
- アルブレヒト3世(1380年頃 - 1422年)
- マルガレーテ(? - ?) - リューネブルク侯ベルンハルト1世と結婚。
脚注
[編集]爵位・家督 | ||
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先代 ルドルフ2世 |
ザクセン選帝侯 1370年 - 1388年 |
次代 ルドルフ3世 |
先代 マグヌス2世 |
リューネブルク侯 1370年 - 1388年 (1385年までアルブレヒト3世と共治) |
次代 ベルンハルト1世 ハインリヒ1世 |