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ヴォロダリ・グレボヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴォロダリ・グレボヴィチ
Валадар Глебавіч
ミンスク公
ゴロデツ公
ポロツク公
在位 ミンスク公1151年 - 1159年1165年 - 1167年
ゴロデツ公:1159年 - 1165年
ポロツク公:1167年

出生 1090年代
死去 1167年以降
配偶者 リクサ・ボレスワヴヴナ
子女 ソフィヤ
ウラジーミル
ヴァシリコ
家名 リューリク家
父親 ミンスクグレプ
母親 アナスタシヤ・ヤロポルコヴナ
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ヴォロダリ・グレボヴィチベラルーシ語: Валадар Глебавіч1090年代 - 1167年以降)は、ミンスクグレプヴォルィーニ公国の公女アナスタシヤとの間の子である。

ポロツク・イジャスラフ家(ru)出身。ミンスク公1151年 - 1159年1165年 - 1167年[1]ゴロデツ公(ru):1159年 - 1165年、ポロツク公:1167年。兄弟にはミンスクロスチスラフがいる。

1135年もしくは1136年に、ポーランド大公ボレスワフ3世の娘リクサ・ボレスワヴヴナと結婚した[注 1]。一説によるとこの結婚は、キエフ大公ウラジーミル・モノマフの相続人の一人[注 2]であるデンマーク王エーリク2世に対する、ポロツク公国とボレスワフ3世との同盟を締結するためだったという[2]

妻子

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妻はボレスワフ3世の娘リクサ。子には以下の人物がいる。

脚注

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注釈

  1. ^ リクサはこの時、スウェーデン王マグヌス1世の未亡人だった。
  2. ^ エーリク2世の妻マリムフリダ・ムスチスラヴナはウラジーミル・モノマフの孫、ムスチスラフ1世の娘だった。
  3. ^ ウラジーミルをヴォロダリの子とする説には、Назаренко А. В. Древняя Русь на международных путях. — С. 589—590.等がある。

出典

参考文献

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  • Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — М.: ОЛМА-ПРЕСС, 2001.