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ヴォワ・デュ・ノール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴォワ・デュ・ノール
La Voix du Nord
種別地方の日刊紙
判型タブロイド判
所有者ロッセルグループ英語版
設立1941年 (83年前) (1941)
言語フランス語
本社所在地リール
発行数165,888[1] (2023年現在)
ウェブサイトVoix du Nord

『ヴォワ・デュ・ノール』[2]フランス語: La Voix du Nord)はフランスの北部のノール=パ・ド・カレー地域圏で発行されている地方新聞1941年4月1日創刊。『ノールの声』ともいう[3]

1942年4月1日号。ボンデュフランス語版レジスタンス博物館フランス語版展示。

歴史

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ヴォワ・デュ・ノールは、第二次世界大戦中ドイツ占領下のフランスで設立されたフランスレジスタンスの地下新聞の一つである。ノール=パ・ド・カレー地域ブリュッセルドイツ軍政府によって統治されていた1941年4月にノール県県庁所在地のリールで初めて発行された[4][5]。当時のキャッチフレーズは「フランス領フランドルのレジスタンス機関」[4]

2006年、ベルギーの主要新聞「ル・ソワール」を所有する大手メディア「ロッセル・グループ」の傘下となった[6]

ドイツ占領下での出発

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ヴォワ・デュ・ノールは、政治的抵抗運動のきっかけとなった地下新聞である。発行にたずわるこの抵抗組織は、フランス語で「北の声」、または「ノール県の声」の意味である「ヴォワ・デュ・ノール」と呼ばれていた。創刊号は 1941年4月に 65部が印刷され、発行者の使命として次のように宣言された。

フランスには、新聞もラジオもなくフランス語で自由に話せる人は誰もいません。唯一のフランス語の声は、ロンドンのラジオを通じてのみ聞こえてきます。私たちは彼らに同意し、そして次のように信じています。「義務と名誉に対して妥協しない」、「悪に対して妥協しない」、「敵と協力しない」。 - La Voix du Nord, April 1941[7]

ヴォワ・デュ・ノールは、亡命政府ドゴール将軍への支持と傀儡政権と受け取られていたヴィシー政権への反対を明言した。当初のメンバーには、警察准将で労働組合員、フランス社会党 (SFIO)の社会主義者であるジュール・ヌートゥールと、社会主義カトリック教徒のナタリス・デュメの全く異なる2人の人物がいた。デュメは、編集部の中心人物であり、創刊から39号までに掲載された 400の記事の主たる執筆者だった。ヌートゥールは、1943年9月8日に逮捕され、グロース・ローゼン強制収容所に移送ののち 1945年2月1日に死亡した[8]

ページ数は、ロネオタイプ(輪転式謄写印刷機) による初日の 4ページから、6ページ、さらには 10ページへと急速に増えていった。紙の入手が困難になり、1943年2月には 4ページにまで減らしたこともあったが、発行部数は当初の約 900部から、1943年1月に 15,000部にまで増加した。新聞は 1942年9月まで隔週発行され、1943年以降は月刊となった。

ドイツ支配からの解放後の 1944年9月5日に、のちにフランスの政治家となるジュール・ホッケの責任のもとで発行された号の最初のページには「北部地域は自由である」という6段組みのタイトルが取り消し線で描かれた。自由と独立のために、これらの新聞を書き、印刷し、配布した530人以上の人々の投獄と拷問、強制収容所送りという高い代償を払わされたのである。

現代

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戦後は、会社組織となり施設も人員も一新され、1950年代にはさまざまな地方版の印刷を開始し、地域を網羅するようになっていった。現在、ヴォワ・デュ・ノールは、タブロイド判で発行されている。ノール=パ・ド・カレー地域で開催される自転車レース「グランプリ・ド・フルミー」のスポンサーでもある[要出典]

発行部数

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部数
1998 323,000[5]
2000 332,000[9]
2001 320,000[10]
2002 307,191[11]
2003 315,000[12]
2014 231,066[13]
2015 226,214
2016 214,542
2017 209,203
2018 204,219
2019 207,861
2020 199,713
2021 193,018[14]

脚注

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  1. ^ La Voix du Nord” (フランス語). acpm.fr. 2024年2月15日閲覧。
  2. ^ 18歳以下はTikTok禁止!? フランスのデジタル専門家の報告書が話題に。”. madameFIGARO.jp(フィガロジャポン). 2024年9月28日閲覧。
  3. ^ マクロン仏大統領を侮辱したとして、フランス人女性に懲役1年の可能性”. スプートニク. 2024年9月28日閲覧。
  4. ^ a b Julian Jackson (2001). France: The Dark Years, 1940–1944 (1st ed.). Oxford: Oxford University Press. p. 412. ISBN 0-19-820706-9. https://archive.org/details/france00juli/page/412 
  5. ^ a b William Kidd; Sian Reynolds (1 May 2014). Contemporary French Cultural Studies. Routledge. p. 235. ISBN 978-1-4441-6556-2. https://books.google.com/books?id=45h9AwAAQBAJ&pg=PA235 22 November 2014閲覧。 
  6. ^ Belgian French-language news publishers, authors societies and Google reach partnership agreement”. Copie Presse (13 December 2012). 19 February 2015閲覧。
  7. ^ Duhamel, Jean-Marie (2011年). “Printemps 1941 - automne 1942 : le temps des fondateurs” [Spring 1941 - Fall 1942: the time of the founders]. La Voix du Nord. 2024年6月29日閲覧。
  8. ^ Rudolph, Luc (2015). Policemen vs. policemen. Paris: SPE 
  9. ^ “Top 100 dailies 2000”. campaign. (16 November 2001). http://www.campaignlive.co.uk/news/49276/ 2 March 2015閲覧。 
  10. ^ Adam Smith (15 November 2002). “Europe's Top Papers”. Campaign. http://www.campaignlive.co.uk/news/164161/ 7 February 2015閲覧。 
  11. ^ “Media Markets and Newspapers”. SFN Flash 7 (1). (7 January 2004). オリジナルの24 August 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170824141157/http://www.wan-press.org/IMG/pdf/04Q_03_SFN_Flash_FullText-2.pdf 17 February 2015閲覧。. 
  12. ^ World Press Trends”. World Association of Newspapers (2004年). 15 February 2015閲覧。
  13. ^ La Voix du Nord”. OJD. 2 April 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。21 March 2015閲覧。
  14. ^ L'observatoire de la presse et des médias de L'APCM 2022”. acpm.fr (2022年). 2024年6月29日閲覧。

外部リンク

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