ヴラディミル・ペトコヴィッチ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Vladimir Petković | |||||
ボスニア語 | Владимир Петковић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
スイス ボスニア・ヘルツェゴビナ クロアチア | |||||
生年月日 | 1963年8月15日(61歳) | |||||
出身地 | サラエヴォ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1984 | FKサラエヴォ | 8 | (0) | |||
1984-1985 | FKルダル・プリイェドル | 15 | (7) | |||
1985 | FKサラエヴォ | 2 | (0) | |||
1985-1986 | FCコペル | 14 | (4) | |||
1986-1987 | FKサラエヴォ | 17 | (3) | |||
1987-1988 | FC Chur 97 | |||||
1988-1989 | FCシオン | 6 | (0) | |||
1989-1990 | FC Martigny-Sports | 31 | (8) | |||
1990-1993 | FC Chur 97 | 87 | (19) | |||
1993-1996 | ACベッリンツォーナ | 63 | (8) | |||
1996-1997 | FCロカルノ | 32 | (3) | |||
1997-1998 | ACベッリンツォーナ | |||||
1998-1999 | SC Buochs | |||||
監督歴 | ||||||
1997-1998 | ACベッリンツォーナ | |||||
1999-2004 | マルカントーンアニョ | |||||
2004-2005 | ACルガーノ | |||||
2005-2008 | ACベッリンツォーナ | |||||
2008-2011 | ヤングボーイズ | |||||
2011-2012 | サムスンスポル | |||||
2012 | シオン | |||||
2012-2014 | ラツィオ | |||||
2014-2021 | スイス | |||||
2021-2022 | ボルドー | |||||
2024- | アルジェリア | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヴラディミル・ペトコヴィッチ(Vladimir Petković, 1963年8月15日 - )は、ボスニア系スイス人の元サッカー選手、サッカー指導者。2024年2月よりアルジェリア代表の監督を務めている。
旧ユーゴスラビアのサラエヴォ出身でボスニア・ヘルツェゴビナの他にスイスとクロアチア国籍を有している[1]。
経歴
[編集]ユーゴスラビアでデビューした後、24歳でスイスに渡り、2部リーグを中心にサッカー選手としてのキャリアを送った。1997年に指導者としてデビューすると、2007-2008シーズンにおいてACベッリンツォーナを一部昇格に導いた手腕を評価され、翌シーズン中にヤングボーイズの監督に途中就任した。同シーズンおよび2009-2010シーズンにおいて2年連続で2位となり、名が知られるようになる。2012-2013シーズンよりイタリア・セリエAのラツィオ監督に就任。ラツィオSDのイグリ・ターレからは「野心とクオリティを持った監督である」と評価を受けた。
2013年12月23日、2014 FIFAワールドカップ後からスイス代表の監督に就任することが発表された[2]。その後UEFA EURO 2016、2018 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2020などの本大会出場に導き、2021年7月に退任した[3]。
2021年7月27日、FCジロンダン・ボルドー監督に就任[4]。しかし、チームは2022-22シーズン降格圏に低迷し、2022年2月7日に解任された[5]。
2024年2月29日、アルジェリア代表の監督に就任した[6]。
人物
[編集]監督として選手とのコミュニケーションを重要視し、スイス代表では多様な国をルーツにもつ選手たちを得意の語学によってまとめた。話せる言葉は母国語のボスニア語をはじめ、イタリア語、フランス語、英語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語と、多岐にわたる。
監督成績
[編集]- 2022年2月12日現在
クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
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試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | ||||
ベッリンツォーナ | 1997年7月 | 1998年5月 | 30 | 12 | 7 | 11 | 40.00 | |
マルカントーンアニョ | 1999年 | 2004年 | 166 | 86 | 42 | 38 | 51.81 | |
ルガーノ | 2004年6月 | 2005年6月 | 36 | 14 | 10 | 12 | 38.89 | |
ベッリンツォーナ | 2005年10月 | 2008年6月 | 135 | 72 | 28 | 35 | 53.33 | |
ヤングボーイズ | 2008年8月 | 2011年5月8日 | 131 | 78 | 21 | 32 | 59.54 | |
サムスンスポル | 2011年7月1日 | 2012年1月27日 | 22 | 4 | 7 | 11 | 18.18 | |
シオン | 2012年5月15日 | 2012年6月1日 | 4 | 1 | 0 | 3 | 25.00 | |
ラツィオ | 2012年6月2日 | 2014年1月4日 | 81 | 37 | 22 | 22 | 45.68 | |
スイス代表 | 2014年7月1日 | 2021年7月26日 | 78 | 41 | 18 | 19 | 52.56 | |
ボルドー | 2021年7月27日 | 2022年2月12日 | 25 | 5 | 8 | 12 | 20.00 | |
合計 | 708 | 350 | 163 | 195 | 49.44 |
タイトル
[編集]- コッパ・イタリア 2012-13
脚注
[編集]- ^ “Petkovic: we need peace and unity”. AgenSIR (2015年5月6日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ スイス代表、W杯後の指揮官はペトコビッチに Goal、2013年12月24日
- ^ “ペトコヴィッチ監督がスイス代表を退任、仏1部ボルドー就任へ”. キッカー日本語版 (2021年7月28日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ "Bienvenue Coach !" (Press release) (フランス語). FCジロンダン・ボルドー. 28 July 2021. 2021年7月28日閲覧。
- ^ “仏1部ボルドー、スイス代表から引き抜いたペトコヴィッチ監督を半年で解任”. キッカー日本語版 (2022年2月8日). 2022年2月8日閲覧。
- ^ “アルジェリア代表、新指揮官にウラジミール・ペトコビッチ氏を招へい”. 超ワールドサッカー! (2024年3月1日). 2024年3月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 片野道郎「特集 新時代の到来か? 今年も現れた「初挑戦」監督の正体」『footballista #271』ソル・メディア、2012年、p.11
外部リンク
[編集]- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - Soccerbase.comによる監督データ
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - FootballDatabase.eu
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - WorldFootball.net
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - FIFA主催大会成績
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - UEFA
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - TheFinalBall.com
- ヴラディミル・ペトコヴィッチ - Munzinger Sports Archives