一の濱音吉
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(一の浜音吉から転送)
一の濱 音吉(いちのはま おときち、1868年7月17日(慶応4年5月28日) - 1906年(明治39年)6月11日)は摂津国豊島郡豊中村(現・大阪府豊中市大島町)出身の大相撲力士。本名は高橋 乙吉。大阪相撲で活躍し最高位は大関。
大阪相撲時代
[編集]8代猪名川に入門、一の濱を名乗り1888年(明治21年)9月見習が初見。一時広角組に加わるが1894年(明治27年)4月入幕。174cm100kgの筋肉質の体格で左差しからの寄り、吊り、投げを得意とした。
1897年(明治30年)9月小結、1898年(明治31年)4月関脇。同年10月には大関となるがこの場所4勝4敗1分の五分ながら1899年(明治32年)6月は関脇に下げられた。この場所6勝1敗1分1預の好成績ながら翌1900年(明治33年)6月も関脇に止められたため、力士の間からクレームがつき大関格で出場した。
病気がちで休場が多く1902年(明治35年)6月は小結に下がった。さらに1903年(明治36年)1月には前頭筆頭となったがこの場所35連勝中の新横綱若島権四郎を破ったほか上位を総ナメにして8勝1休の優勝相当成績で最後の華を飾った。同年5月限りで引退、一代頭取一の濱となったが1905年(明治38年)1月限りで廃業。
貸座敷経営
[編集]1905年頃、大阪市で貸座敷「一の濱楼」を経営した。1906年(明治39年)6月11日37歳で死去。
参考文献
[編集]- 「大相撲人物大事典」、2001年 ISBN 9784583036403