一内閣一閣僚
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一内閣一閣僚(いちないかくいちかくりょう)とは日本の内閣において内閣改造を含めた閣僚交代を否定的にとらえ、一人の閣僚が組閣から首相退陣まで特定の閣僚ポストに在任する人事方針のこと。
概要
[編集]日本で内閣総理大臣になった者の中で一内閣一閣僚を標榜した政治家として小渕恵三と小泉純一郎がいる。
1998年に首相に就任した小渕恵三は一内閣一閣僚を表明、さらに一内閣一執行部を主張し、幹事長を含めた自民党役員人事についても組閣から総辞職まで閣僚に在任する人事方針を持っていた[1]。しかし、政権運営中に自由党や公明党と連立を組んだことにより、一内閣一閣僚を崩して内閣改造を行った[2][3][4]。
2001年に首相に就任した小泉純一郎は一内閣一閣僚を表明していた。「派閥順送りや派閥主導を排すること」を目的としていたが、2002年1月に外務省問題で外務大臣を田中真紀子から川口順子に交代させることで原則を崩し、同年9月に不良債権処理問題においては金融担当大臣を柳澤伯夫から竹中平蔵に交代させるのを機に「一内閣一閣僚は理想の姿を示したもの。重要なのは改革の達成。」として内閣改造を行い[5][6][7]、結局は1年毎の定期的な内閣改造を行うようになった。
一内閣一閣僚を実行するには内閣改造を拒否しなければならないが、ポスト配分権という武器が召し上げとなる派閥側の抵抗が大きい中で対応をとることになる[7]。
記録等
[編集]日本国憲法下で内閣無改造記録
[編集]位 | 内閣 | 在任期間 | 日数 |
---|---|---|---|
1 | 三木内閣 | 1974年12月9日 - 1976年9月15日 | 646日間 |
2 | 第2次安倍内閣 | 2012年12月26日 - 2014年9月3日 | 617日間 |
3 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日 - 1954年12月10日 | 564日間 |
4 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月14日 - 1971年7月5日 | 538日間 |
5 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 - 1981年11月30日 | 502日間 |
脚注
[編集]- ^ 「小渕首相懇談の要旨」『読売新聞』読売新聞社、1999年3月21日。
- ^ 「小渕首相懇談の要旨」『読売新聞』読売新聞社、1999年7月11日。
- ^ 「小渕首相の同行記者団との懇談要旨」『読売新聞』読売新聞社、1999年9月14日。
- ^ 「自自公内閣、午後発足 経済新生へ堅実布陣 総裁経験者2人配置」『読売新聞』読売新聞社、1999年10月5日。
- ^ 「8日の参院代表質問での小泉首相答弁要旨 デフレ問題、日銀と取り組む」『読売新聞』読売新聞社、2002年2月9日。
- ^ 「内閣改造後の小泉首相会見の要旨」『読売新聞』読売新聞社、2002年10月1日。
- ^ a b 塩田潮 (2011), p. 31.
参考文献
[編集]- 塩田潮『まるわかり政治語事典 : 目からうろこの精選600語』平凡社〈平凡社新書〉、2011年6月16日。ASIN 4582855903。ISBN 978-4-582-85590-6。 NCID BB05960985。OCLC 763047409。全国書誌番号:21959829。