一戸謙三
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一戸 謙三(いちのへ けんぞう、1899年2月10日[1] - 1979年10月1日[1])は、日本の詩人。
青森県弘前市出身[1]。青森県立弘前中学校(現:青森県立弘前高等学校)卒業[1]。1919年、帰省した際、青森県で初めての詩人団体「パストラル詩社」を結成[1]。福士幸次郎に師事し[1]、一戸玲太郎の筆名で口語自由詩人として活躍した。1920年、経済的事情により慶應義塾大学医学部中退[1]。1936年方言詩集『ねぷた』を刊行[1]。1960年青森文化賞[1]、1962年青森県褒賞を受ける[1]。1979年10月1日、心不全のために死去[1]。
昭和初期にはエスプリ・ヌーボーの影響を蒙り、知的観照性の高い散文詩へと移行したが、やがて方言詩に転身、高木恭造とならんで津軽方言詩人としても活動した。さらに自由詩から転じて佐藤一英の聯詩運動に共感、定型詩の可能性に関心を示したほか、戦後はドイツ近代詩人の訳詩を試みるなど、生涯を通じて幾度もの詩風の変遷をともなう実験を試みた。(『追憶と郷愁の詩人一戸謙三 : 第46回企画展』弘前市立郷土文学館編 令和4年 14-28p)
著書
[編集]- 詩集『ねぷた(津軽方言詩集)』 十字堂書房 (筆名・一戸玲太郎)、1936年
- 詩集『追憶帖』雪の社(孔版)、1947年
- 詩集『歴年』青森美術社(浮彫叢書2)、1952年
- 詩集『連詩集 椿の宮』緑の笛豆本の会、1959年
- 詩集『津軽方言詩集 百万遍』圏詩社、1961年
- 詩集『自撰一戸謙三詩集』津軽書房、1965年
- 詩集『現身(うつしみ)』 緑の笛豆本の会(緑の笛豆本 第41集)、1972年
作詞
[編集]- 弘前市立第三大成小学校校歌。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『北の文脈: 青森県人物文学史 下巻』小野正文 昭和56年 北の街社
- 『みちのくの詩学』坂口昌明 平成19年 未知谷
- 『詩人一戸謙三 : 特別展』青森県近代文学館編 令和元年 青森県近代文学館
- 『追憶と郷愁の詩人一戸謙三 : 第46回企画展』弘前市立郷土文学館編 令和4年 [弘前市立郷土文学館]