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一柳頼忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
一柳頼忠
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦2年(1752年
死没 明和7年5月6日1770年5月30日
別名 民弥、左京[1]
伊予小松藩世嗣
氏族 一柳氏
父母 一柳頼寿
兄弟 頼忠頼欽寿厚土屋昌寿村越成芳寿重一柳直里室、神尾元喬室、
間直瀬恒幸室ら
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一柳 頼忠(ひとつやなぎ よりただ)は、江戸時代中期の伊予国小松藩の世嗣。

生涯

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5代藩主・一柳頼寿の長男として誕生。母は側室某氏[1]

明和2年(1765年)3月11日、嫡子に定められる[1]。しかし家督を相続することなく、明和7年(1770年)に19歳で早世した[1]

代わって、同母弟[1]頼欽が嫡子となった。

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e 『寛政重修諸家譜』巻第六百四、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.161、『新訂寛政重修諸家譜 第十』p.161。

参考文献

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