徳川斉礼
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(一橋斉礼から転送)
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和3年10月3日(1803年11月16日) |
死没 | 文政13年6月19日(1830年8月7日) |
改名 | 松之助(幼名)、徳川斉礼 |
戒名 | 憲徳院 |
官位 |
兵部卿、従三位左近衛権中将、民部卿、 参議、贈権中納言 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 徳川氏、御三卿一橋徳川家 |
父母 | 父:徳川斉敦、母:野尻氏 |
兄弟 | 備千代、斉礼、信之助 |
妻 | 田安徳川斉匡の娘・近姫 |
子 | 養子:徳川斉位 |
徳川 斉礼(とくがわ なりのり)は、江戸時代後期の武士。御三卿・一橋家の4代当主。
生涯
[編集]享和3年(1803年)10月3日、3代当主・斉敦の次男として誕生する。文化元年(1804年)9月28日、一橋家の世子となる。文化11年(1814年)2月19日に元服し、伯父にあたる将軍・家斉から偏諱を受けて斉礼と名乗り、兵部卿に任じられる。
文化12年(1815年)8月5日に従三位左近衛権中将に叙され、文化13年(1816年)9月4日に父・斉敦が没したため同年10月4日に当主に就任する。文政2年(1819年)4月6日に伯父にあたる田安徳川家当主・斉匡の娘・近姫と婚姻する。
文政6年(1823年)7月8日に遠江国1万石を幕府に返納し、代わりに摂津国1万石を賜る。文政10年(1827年)2月18日には遠江国・武蔵国・下野国三国の3万石を幕府に返納し、代わりに摂津国・越後国・備中国三国の3万石を賜る。同年閏6月1日に参議に就任する。
文政13年(1830年)6月19日、28歳で死去した。法号は憲徳院。天保7年(1836年)6月2日に権中納言が追贈された。
嗣子が無かったため、養子の斉位(斉匡の四男で近姫の異母弟)が跡を継いだ。
家族
[編集]- 正室:近姫(1800年(寛政12年)- 天保元年4月22日(1830年6月12日))
- 生母が不明の子女
- 長女:珖玉院(文政11年9月15日(1828年10月23日)- 文政11年9月15日(1828年10月23日))
- 長男:邦吉郎(天保元年7月6日(1830年8月23日)- 天保2年5月15日(1831年6月24日))
出典
[編集]- 『徳川諸家系譜3』