一水寮
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一水寮 | |
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一水寮 (2016年10月23日撮影) | |
情報 | |
設計者 | 高橋博 |
構造形式 | 木造 |
建築面積 | 96 m² |
階数 | 地上2階 |
竣工 | 1951年(昭和26年)頃 |
改築 |
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所在地 | 東京都新宿区横寺町 |
座標 | 北緯35度42分11.3秒 東経139度44分6.7秒 / 北緯35.703139度 東経139.735194度座標: 北緯35度42分11.3秒 東経139度44分6.7秒 / 北緯35.703139度 東経139.735194度 |
文化財 | 登録有形文化財(建築物) |
指定・登録等日 | 2013年(平成25年)3月29日 |
一水寮(いっすいりょう)は、東京都新宿区横寺町に所在する歴史的建造物(民家)である。登録有形文化財に登録されている。
概要
[編集]一水寮は、1951年(昭和26年)、高橋博が開設した高橋建築事務所によって、現在地に大工寮として建られたものである[1][2]。高橋は、山口県出身の建築家で、イギリスのロンドンで建築を学び、帰国後の昭和初期、神楽坂地区に高橋建築事務所を開設していた[2]。
一水寮は、数年後、隣家からのもらい火で、屋根、小屋裏を焼いたが、住込みの大工の手により復旧した。その後、数度にわたる改修工事が行われた後、大工寮から一般の貸出アパートへと使用目的が変更された[3]。
1990年(平成2年)、アパート経営をやめ、高橋博の娘婿である鈴木喜一の住宅兼建築設計事務所となり、1995年(平成7年)には、建築設計事務所のスタッフ、学生、芸術家、編集者などの住居となる[3]。2016年(平成28年)には、耐震補強を含めた改修工事が行われ、現在は店舗・事務所として使用されている。
なお、同じく高橋博の設計により1947年(昭和22年)に建築された鈴木家住宅主屋、及び、1954年(昭和29年)に建築された高橋建築事務所社屋も、登録有形文化財に登録されている[4][5]。
沿革
[編集]- 1951年(昭和26年) - 高橋博の設計で現在の一水寮(当初は大工寮だった)が建てられた[2]。
- 年代不詳(昭和30年代初期) - 隣家からのもらい火で、屋根、小屋裏を焼いたが、住込みの大工により復旧した[3]。
- 1955年(昭和30年) - 高橋博の設計により改修工事が行われた。[要出典]
- 年代不詳 - 大工寮から一般のアパートに転換[3]。
- 1990年(平成2年) - 住宅兼建築設計事務所になる[3]。
- 1995年(平成7年) - 建築設計事務所のスタッフ、学生、芸術家、編集者などの住居となる[3]。
- 2010年(平成22年) - 鈴木喜一建築計画工房により改修工事が行われた[6]。
- 2013年(平成25年)3月29日 - 登録有形文化財に登録される。
- 2016年(平成28年) - 改修工事が行われた。
文化財
[編集]- 登録有形文化財(建築物)
交通
[編集]ギャラリー
[編集]-
公道南東側より南側外観を見る(2016年10月23日撮影)
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公道南東側より南・東側外観を見る(2016年10月23日撮影)
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公道より東側2階の外観を見る(2016年10月23日撮影)
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南面より玄関内部を見る(2016年10月23日撮影)
脚注
[編集]- ^ 「住む。」03 必見の神楽坂裏通り 旅する建築家 鈴木喜一の大地の家、鈴木喜一、2011年3月31日
- ^ a b c 神楽坂大學講座 第164回 神楽坂まちづくりすまいづくり塾 神楽坂よもやま話シリーズ 第131話 建築家 高橋博氏の人と仕事 アユミギャラリー・一水寮の歴史とこれからの展望 (PDF) 粋なまちづくり倶楽部 神楽坂
- ^ a b c d e f 「住む。」4 一水寮の話に戻そう 旅する建築家 鈴木喜一の大地の家、鈴木喜一
- ^ 鈴木家住宅主屋 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 高橋建築事務所社屋 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 神楽坂一水寮 鈴木喜一建築計画工房
- ^ 一水寮 - 文化遺産オンライン(文化庁)
参考文献
[編集]- 『日本建築学会計画系論文集 77巻680号』松井大輔・窪田亜矢著「神楽坂花街における町並み景観の変容と計画的課題」2012年10月
- 粋なまちづくり倶楽部編著『粋なまち神楽坂の遺伝子』東洋書店、2013年