歌川芳梅
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(一鶯斎芳梅から転送)
歌川芳梅
性別 | 男性 |
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国籍 | 日本 |
読み仮名 | うたがわ よしうめ |
生年月日 | 1819 |
死亡年月日 | 1879 |
職業 | 版画家、浮世絵師 |
弟子 | 梅春、梅乃家梅英、岩井梅雪、一梅斎芳峰 |
師匠 | 歌川国芳 |
活動地 | 大阪、江戸 |
コレクション所蔵者 | 国立世界文化博物館 |
作者の著作権状態 | 著作権保護期間満了 |
歌川 芳梅(うたがわ よしうめ、文政2年〈1819年〉 - 明治12年〈1879年〉)とは、江戸時代後期から明治時代にかけての大坂の浮世絵師。
来歴
[編集]歌川国芳の門人で大坂堀江の人。本姓は中島、名は藤助。歌川の画姓を称し一鶯斎、夜梅楼と号す。天保12年(1841年)頃から大坂で活動を始め、弘化4年(1847年)、江戸に出て歌川国芳に付いて絵を学び、安政4年(1857年)再び大坂へ戻り、役者絵、風景画、風俗画、草双紙の挿絵を描いた。享年61。中井芳滝、岩井梅雪、一梅斎芳峰、梅乃家梅英、梅春など多くの門弟を育て、大坂における国芳派の祖となっており、この時期の大坂における中心的な浮世絵師の一人であった。二代目長谷川貞信も芳梅から教えを受けている。
作品
[編集]- 『絵本岩見英雄録』初編 読本 ※玉藻山人作、嘉永元年(1848年)刊行
- 『大川仁政録』初編 読本 ※松亭金水作、安政元年 - 安政4年刊行
- 「おはつ・嵐徳三郎」 大判錦絵 ※天保12年正月、大坂大西芝居『加賀見山廓写本』より
- 「北畠主計頭・片岡我童」 大判錦絵2枚続のうち 池田文庫所蔵 ※天保13年3月、大西芝居『花都矢数誉』より
- 「高ノ師直・片岡市蔵 桃井若狭之助・実川延三郎 ゑんや判官・三枡大五郎」 中判錦絵3枚組 江戸東京博物館所蔵 ※嘉永元年3月、大坂中の芝居『いろは仮名四十七訓』より
- 「滑稽浪華五十景」 中判錦絵揃物 ※安政頃、含粋亭芳豊との合作
- 「浪花名所之内 九軒之図」 大判錦絵 太田記念美術館所蔵
参考文献
[編集]- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 吉田漱 『浮世絵の見方事典』 北辰堂、1987年
- 『歌川国芳とその一門展』 浮世絵太田記念美術館、1990年
- 『上方役者絵集成』(第3巻) 財団法人阪急学園池田文庫、2001年