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丁封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

丁 封(てい ほう、生没年不詳)は、中国三国時代の武将。本貫揚州廬江郡安豊県。丁奉の弟。

生涯

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永安6年11月22日264年1月8日)、の攻撃を受けた蜀漢からの救援要請を受け、呉は各方面に、魏を牽制するための軍を送る。丁封もこの一員として孫異と共に、漢水流域に進出した。しかしまもなく、蜀漢の皇帝劉禅が魏に降伏したとの報が届き、呉の出兵も中止された(蜀漢の滅亡[1]。丁封の官位は後将軍まで昇ったが、兄の丁奉よりも先に没した[2]

羅貫中の小説『三国志演義』では、やはり魏の攻撃を受けた蜀漢からの要請を受け、丁奉を大将とする救援軍の副将として、名前のみ登場する[3]

出典

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脚注

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  1. ^ 『三国志』呉書 孫休s:zh:三國志/卷48#孫休
  2. ^ 丁奉の没年は建衡3年(271年)。
  3. ^ s:zh:三國演義/第117回