丁璜
表示
丁 璜(てい こう、生年不詳 - 咸豊3年8月6日(1853年9月8日))は、清代の人物。
生涯
[編集]湖北省黄州府黄岡県(現在の湖北省黄岡市黄州区赤壁街道)の出身[1]。道光21年5月6日(1841年6月24日)の殿試で二甲進士に登り[2]、汾西県の知県に任じられた[1]。道光24年(1844年)に左雲県の知県、道光28年(1848年)に万泉県の知県にそれぞれ転じた[1]。咸豊3年(1853年)には曲沃県の知県[3]・雲騎尉に任じられたが、同年8月6日に太平天国軍に曲沃城を攻め落とされて殺害された[4]。
出典
[編集]- ^ a b c “人名権威資料庫(36394筆)”. 中央研究院歴史語言研究所. 2020年8月18日閲覧。
- ^ 『清実録』宣宗成皇帝実録 巻三百五十二
- ^ 『清実録』文宗顕皇帝実録 巻一百三
- ^ “太平軍進出山西始末 - 山西交流网”. 山西省国際文化交流中心. 2020年8月20日閲覧。