七宗町立神渕小学校
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七宗町立神渕小学校 | |
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北緯35度34分56.7秒 東経137度05分13.6秒 / 北緯35.582417度 東経137.087111度座標: 北緯35度34分56.7秒 東経137度05分13.6秒 / 北緯35.582417度 東経137.087111度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 七宗町 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121250400016 |
所在地 | 〒509-0511 |
岐阜県加茂郡七宗町神渕9871 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
七宗町立神渕小学校(ひちそうちょうりつ かぶちしょうがっこう)は岐阜県加茂郡七宗町にある公立の小学校。
就学区域
[編集]- 神渕地区、上麻生字葛屋[1]
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 下中切に明方義校、大塚に開蒙義校が開校。
- 1875年(明治8年) -
- 明方義校が万場字朝張に移転し、朝張学校に改称する。
- 開蒙義校が大塚学校に改称する。
- 1879年(明治12年) - 朝張学校が公立朝張学校、大塚学校が公立大塚学校に、それぞれ改称する。
- 1882年(明治15年) -
- 古屋に公立神渕小学校が開校し、中等科を設置。
- 公立朝張学校が公立神渕小学校朝張支校、公立大塚学校が公立神渕小学校大塚支校に、それぞれ改称する。
- 1886年(明治19年) - 公立神渕小学校が廃止。公立神渕小学校朝張支校は朝張尋常小学校、公立神渕小学校大塚支校が大塚尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1894年(明治27年) - 高等科設置にあたり、朝張尋常小学校、大塚尋常小学校のどちらに設置するかで村内で対立が発生する。議会により、翌年から毎年交代で高等科を設置することになる。
- 1895年(明治28年) -
- 朝張尋常小学校が神渕尋常小学校に改称する。
- 大塚尋常小学校が神渕尋常高等小学校に改称する。
- 1896年(明治29年) - 神渕尋常小学校(朝張)が神渕尋常高等小学校に、神渕尋常高等小学校(大塚)が神渕尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1897年(明治30年) -
- 下中切に神渕高等小学校が開校。
- 神渕尋常高等小学校が神渕第一尋常小学校に、神渕尋常小学校が神渕第二尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1897年(明治30年) - 神渕第一尋常小学校が神渕北尋常小学校に、神渕第二尋常小学校が神渕南尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1903年(明治36年) - 神渕高等小学校、神渕北尋常小学校、神渕南尋常小学校が統合され、神渕尋常高等小学校となる。現在地に新築移転。
- 1904年(明治37年) - 杉洞分教場を設置。
- 1912年(明治44年) - 三軒家分教場を設置。
- 1925年(大正14年) - 三軒家分教場を廃止。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 神渕国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 神渕村立神渕小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 武儀郡神渕村と加茂郡上麻生村とが合併し、加茂郡七宗村が発足。同時に七宗村立神渕小学校に改称する。
- 1960年(昭和35年) - 現在の校舎が完成する。
- 1968年(昭和43年) - 杉洞分校を廃止。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 町制施行により、七宗町発足。同時に七宗町立神渕小学校に改称する。
学校統合の計画
[編集]- 町の急激な児童生徒数の減少もあり、2つの小学校(上麻生小学校・神渕小学校)を統合する計画である。校舎は七宗町立神渕中学校の校舎を転用し、2026年(令和8年)4月に統合小学校の開校を目指している[2]。
脚注
[編集]- ^ 七宗町立小学校及び中学校の就学区域を定める規則
- ^ “広報ひちそう№600(令和5年3月20日)” (PDF). 七宗町. 2023年9月10日閲覧。