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七社神社 (東京都北区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七社神社

七社神社
拝殿

地図
所在地 東京都北区西ケ原2-11-1
位置 北緯35度44分54.2秒 東経139度44分29.2秒 / 北緯35.748389度 東経139.741444度 / 35.748389; 139.741444 (七社神社 (東京都北区))座標: 北緯35度44分54.2秒 東経139度44分29.2秒 / 北緯35.748389度 東経139.741444度 / 35.748389; 139.741444 (七社神社 (東京都北区))
主祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命
天児屋根命
伊斯許理度賣命
市寸島比賣命
仲哀天皇
応神天皇
創建 不詳
例祭 9月秋分の日
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七社神社(ななしゃじんじゃ)は、東京都北区西ケ原にある神社である[1]

概要

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無量寺[2]の境内にて七所明神社として祀られていたが、 1793年寛政5年)に起きた火災により古記録を焼失したため創建年代等は不明である[3]。翌年の秋分の日に神社は再建され、以来この日が大祭日となっている[4]。この社は江戸時代末期の観光案内のベストセラー『江戸名所図会』(長谷川 雪旦 絵)[5][6][7]に掲載され、見開きの左上に題「無量寺六阿弥陀第3番 七社(ななのやしろ)」と解説がある[5](版元は須原屋一統[8])。

1868年明治元年)に神仏分離令により無量寺より独立し、翌年、一本杉神明宮の地に遷座する。

1920年大正9年)に渋沢栄一、やはり近隣に別邸を構える古河虎之助ほかの寄付により社務所が建築された[9]

祭神

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神徳

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子宝・安産・家庭円満

文化財

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渋沢栄一揮毫、拝殿社名額

枯松を祭る碑 - 別荘の庭に生えていたが枯れたことを悲しみ、渋沢栄一が1911年に建てた。現在の飛鳥山公園に得た地所のマツは、樹齢数百年、樹高数十メートルであった。漢学者三島中洲に依頼した碑文では、松を擬人化している。三島は渋沢の妻千代が死亡したときも頼まれ、墓碑銘文を寄せた人物である。2020年12月、この碑は別荘の庭から、渋沢が氏子であった七社神社に移された[10]

摂末社

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アクセス

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脚注

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出典

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  1. ^ 『角川日本地名大辞典』 1978, p. 835
  2. ^ 〈有朋堂文庫b〉 1927, pp. コマ番号 157
  3. ^ 御由緒”. 七社神社 (2019年7月17日). 2024年6月11日閲覧。
  4. ^ 御遷座百五十年”. 七社神社 (2019年7月17日). 2024年6月11日閲覧。
  5. ^ a b 斎藤 1893, p. コマ番号150博文館
  6. ^ 〈有朋堂文庫b〉 1927, pp. コマ番号 157-158, 国立国会図書館書誌ID:1174157
  7. ^ 〈角川文庫〉 1966, p. 142
  8. ^ 斎藤 1836a, NCID BA68118141
  9. ^ 渋沢史料館: “七社神社・西ヶ原の人々と渋沢栄一”. www.shibusawa.or.jp. 史料館だより. 公益財団法人 渋沢栄一記念財団. 2024年6月11日閲覧。
  10. ^ 渋沢栄一建立 枯松を祭る文の碑 解説”. 七社神社 (2021年3月10日). 2024年6月11日閲覧。
  11. ^ 日立自動車交通: “東京の観光バス/タクシー・路線バス・福祉ハイヤー”. 日立自動車交通. 2024年9月19日閲覧。
  12. ^ 〇王子・駒込ルート、田端循環ルート時刻表(PDF:614KB)” (PDF). 1.運行情報・時刻表 年中無休. 東京都北区. 2024年9月19日閲覧。

参考文献

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発行年順。

関連項目

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50音順。

外部リンク

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