万里 (浮世絵師)
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来歴
[編集]経歴不明。中判錦絵の揃物「中洲八景」に「万里画」と落款した作4点が知られるのみである。安田剛蔵はこれらの筆致や落款の「画」の字の特徴から、「万里」とは勝川春朗を名乗っていた若いころの葛飾北斎のことであり、天明元年(1781年)に「万里」という仮名を使って描いたものと断定している。なお当時、吉原の幇間で長門万里という人物がおり戯作も手掛けているが、春朗(北斎)はこの万里の作の黄表紙『大通一寸廓茶番』(安永9年〈1780年〉刊行)の挿絵を描いている。
作品
[編集]- 「中洲八景 浮洲の落雁」
- 「中洲八景 大橋の帰帆」 大英博物館所蔵
- 「中洲八景 川岸の晴嵐」 ボストン美術館所蔵
- 「中洲八景 新寺の晩鐘」 シカゴ美術館所蔵
脚注
[編集]- ^ 名の読み方は『原色浮世絵大百科事典』第2巻(大修館書店、1982年)130頁、「万里」の項による。
参考文献
[編集]- 安田剛蔵 「北斎初期美人画の一傾向 ―万里・群馬亭・東周の研究―」 『浮世絵芸術』第9号 日本浮世絵協会、1965年[1]