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三原重雄

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三原重雄

三原 重雄(みはら しげお、1851年7月6日嘉永4年6月8日[1][注 1]) - 1904年明治37年)8月27日[2][3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将位階勲等功級正五位勲三等功三級[3]

経歴

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鹿児島城下新屋敷町(現鹿児島市新屋敷町)出身[1]。士族・三原経世の三男として生まれ、1894年(明治27年)先代で実兄の彦五郎の跡を継いだ[1]1872年(明治5年)陸軍教導団に入り、翌年、陸軍士官学校に入学[1]1875年(明治8年)1月、陸軍歩兵少尉に任じた[4]西南戦争では歩兵第10連隊第3大隊第1中隊第3小隊長として従軍[5]。ついで同連隊第1大隊副官、近衛歩兵第2連隊第1大隊中隊長を経て[5]歩兵第22連隊第3大隊長として日清戦争に出征する[1]

戦後は第6師団参謀、台湾守備隊混成第2旅団、第2旅団参謀長、東京防禦総督部副官などを経て[1]1899年(明治32年)3月、歩兵第36連隊長に補任する[2][4]1901年(明治34年)5月、大佐に進む[4]日露戦争に出征し旅順攻囲戦で戦死[2][4]。陸軍少将に没後特進した[2][4]

栄典

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勲章等

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』699頁では嘉永6年6月生

出典

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  1. ^ a b c d e f g 人事興信所 1903, 1011頁.
  2. ^ a b c d 福川 2001, 699頁.
  3. ^ a b 『陸軍少将三原重雄外九百十六名叙位ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治40年3月30日。
  4. ^ a b c d e 外山 1981, 43頁.
  5. ^ a b 大植 1935, 773頁.
  6. ^ 『官報』第5046号「叙任及辞令」1900年5月1日。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810 
  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738