三好俊吉
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三好 俊吉(みよし しゅんきち、1929年(昭和4年)3月16日[1] - 2020年(令和2年)4月25日[2])は、日本鋼管(NKK、現JFEホールディングス)の元社長。東京都出身。
NKKでは異例の技術畑出身として社長に就任するが、バブル崩壊以降の景気低迷で1994年ごろから鉄鋼不況が深刻化。業績悪化を受けリストラに着手するも、新日本製鐵や川崎製鉄など他社に比べて立ち遅れ気味で、のちNKKは信用不安から危機を迎えることになる。
略歴
[編集]- 1951年3月:東京大学第一工学部冶金学科卒業
- 1982年6月:日本鋼管取締役
- 1985年6月:日本鋼管常務、福山製鉄所長
- 1988年6月:NKK専務、新材料事業部長
- 1990年6月:NKK副社長
- 1992年6月:NKK社長
- 1997年6月:NKK会長
- 2002年2月:NKK相談役
- 2003年4月:JFEホールディングス相談役
- 2006年6月:退任
- 2020年4月:腹腔内出血のため死去、91歳没。
脚注
[編集]- ^ 三好俊吉, 「鉄鋼技術の進歩発展と将来展望」『鉄と鋼』 81巻 11号 1995年 p.N534-N540, , doi:10.2355/tetsutohagane1955.81.11_N534
- ^ “三好俊吉氏が死去 元NKK(現JFEスチール)社長”. 日本経済新聞 (2020年5月7日). 2020年5月7日閲覧。
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