コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

三宅洋一郎 (音楽家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三宅 洋一郎
生誕 1914年11月8日
出身地 日本の旗 日本 熊本県
死没 (1994-08-01) 1994年8月1日(79歳没)
学歴 東京音楽学校
ケルン音楽大学
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト
指揮者
担当楽器 ピアノ

三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日[1] - 1994年8月1日[2])は、日本音楽家ピアニスト合唱指揮者フェリス女学院短期大学名誉教授。

長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。

人物

[編集]

熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った[3]東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した[3]1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り[4]、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし[3][5]、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって[4]、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。

1969年には第18回横浜文化賞を受賞し[6]1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した[7]

1994年8月1日、肺炎のため死去[1]

日本音楽コンクールのピアノ部門において「最も印象深い演奏をした者」に与えられる「三宅賞」は、三宅洋一郎の遺志にもとづくものである[8]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.547
  2. ^ “三宅洋一郎氏死去”. 朝日新聞・朝刊・神奈川. (1994年8月3日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ a b c “神奈川県 (17) 新・人国記”. 朝日新聞・東京夕刊: p. 2. (1963年8月11日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ a b 校歌 團 伊玖磨による作曲”. フェリス女学院. 2014年5月27日閲覧。
  5. ^ 倉長治子「音楽と人生と」『歳月に花を捧げて 満州と音楽と人生と』文芸社、2001年9月15日、88-90頁。ISBN 4-8355-2221-4https://books.google.co.jp/books?id=LFaniu14gegC&pg=PA90&lpg=PA90&dq=三宅+洋一郎&source=bl&ots=1q0lwd8ZQ5&sig=q9a8k-Sabsm9Coz7YESmc72WRJ0&hl=ja&sa=X&ei=3xyFU_WNGoSZlAWOl4G4Bw&redir_esc=y#v=onepage&q=三宅%20洋一郎&f=false2014年5月27日閲覧 
  6. ^ 横浜文化賞過去の受賞者一覧”. 横浜市. 2014年5月27日閲覧。
  7. ^ 神奈川文化賞歴代受賞者一覧”. 神奈川県. 2014年5月27日閲覧。
  8. ^ 日本音楽コンクール 参加規定”. 毎日新聞社. 2014年5月27日閲覧。