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三朝遼事実録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三朝遼事實錄』(サンチョウ リョウジ ジツロク)[1]は、明代の実録

編纂者はの王在晋で、崇禎12年1639[注 1][2]上梓、全17巻 (首巻を含めれば全18巻)。万暦46年1618旧暦4月から天啓7年1627旧暦12月[注 2]までの9年8箇月間 (万暦泰昌天啓三朝) に亘る期間の、遼東における兵事や朝廷における政争などを記す。

清代には禁書とされたが、1931年[注 3]に江蘇省立国学図書館 (現国立南京図書館)[注 4]が同館の私蔵版を基に再刊した。[4]

明暦 西暦 明暦 西暦
1 万暦46 1618 4 万暦47 1619 10
2 万暦47 1619 11 万暦48 1620 5
3 泰昌1[注 5] 1620 6 天啓1 1621 2
4 天啓1 1621 3 天啓1 1621 5
5 天啓1 1621 6 天啓1 1621 8
6 天啓1 1621 9 天啓1 1621 12
7 天啓2 1622 1 天啓2 1622 2
8 天啓2 1622 3 天啓2 1622 4
9 天啓2 1622 5 天啓2 1622 6
10 天啓2 1622 7 天啓2 1622 8
11 天啓2 1622 9 天啓2 1622 12
12 天啓3 1623 1 天啓3 1623 5
13 天啓3 1623 6 天啓4 1624 12
14 天啓5 1625 1 天啓5 1625 8
15 天啓5 1625 9 天啓6 1626 1
16 天啓6 1626 2 天啓6 1626 12
17 天啓7 1627 1 天啓7 1627 12

脚註

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典拠

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  1. ^ 三朝辽事实录”. 国立国会図書館サーチ. 2024年6月6日閲覧。
  2. ^ “跋”. 三朝遼事實錄. 17. "崇禎巳卯1639上巳日3月3日男會苾謹跋" 
  3. ^ 鳥井, 克之 (2015). “〈書見台〉南京図書館新館・金陵図書館見聞記”. 図書館フォーラム (関西大学図書館) (20). https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/17882/files/KU-0100-20150630-03.pdf. 
  4. ^ 三朝遼事實錄. 首巻. 江蘇省立国学図書館. "辛未十又一月江蘇省立國學圖書館厶(私)藏本景(影)印" 

註釈

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  1. ^ 参考:维基百科「三朝辽事实录」では「崇祯十一年 (1638年) 成书」としているが、典拠不詳。
  2. ^ 参考:目次上は12月としているが、巻17の最後の記述は11月。
  3. ^ 参考:维基百科「三朝辽事实录」は1930年としている。
  4. ^ 参考:清代の両江総督・端方により1907年に創設された「江南図書館」が濫觴で、辛亥革命後の1927年、民国政府が大学区制を実施したことにより「第四中山大学国学図書館」に改名、続けて翌1928年には「国立中央大学国学図書館」に改名されたが、翌1929年に大学区制が廃止されると「江蘇省立国学図書館」に改名されて江蘇省教育庁の直属機関となり、新中国成立直後の華東軍政委員会文化部の指導時代を経て、1952年に「国立南京図書館」と改名されて現在に至る。[3]
  5. ^ 参考:神宗が崩御した1620年は、本来なら万暦の48年だが、光宗は即位したその年の9月に崩御したため、翌1621年に熹宗の元号「天啓」に改めると、光宗の元号「泰昌」が消滅してしまうことから、光宗の即位からその年の末までは「泰昌」、それ以前は「万暦」、翌年からは「天啓」と定められた。