三木敏
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三木 敏(みき とし、1907年(明治40年)12月19日[1] - 没年不明)は、日本の実業家。三木興業会長[2][3][4]。ナニワ電球工業監査役[2][4]。
人物
[編集]兵庫県人・牛尾梅吉の二男[1][2][3]。三木みなの養子となり1915年、家督を相続する[2]。三木政夫の養兄である[2]。1932年、京都帝国大学法学部卒業[3][5]。野村銀行員となる[1]。
趣味は園芸[2]、スポーツ、洋楽[3]。宗教は仏教[2]、真宗[3]。住所は兵庫県武庫郡精道村東芦屋[2](現芦屋市)。
家族・親族
[編集]- 三木家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c 『人事興信録 第10版 下』ミ14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第12版 下』ミ14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 近畿篇』兵庫177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第44版』兵庫ミの部132 - 133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和7年』卒業生姓名 法学士437頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 下』ミ14 - 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第5版』う52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 京都帝国大学編『京都帝国大学一覧 昭和7年』京都帝国大学、1927 - 1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 近畿篇』帝国秘密探偵社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。