三橋久美
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三橋 久美(みつはし ひさよし、1873年〈明治6年〉11月 - 1943年〈昭和18年〉4月)は、明治から大正時代の日本の判事(裁判官)、教育者。大審院判事・部長、東京控訴院判事・部長、東京地方裁判所判事・部長[1][2]、立教大学教授[3]。
人物・経歴
[編集]1873年(明治6年)11月、東京府人・三橋久實の長男として東京市で生まれる[1][2]。その後、家督を相続する[1]。
1901年(明治34年)7月、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した後、翌年3月に司法官試補(東京区裁判所詰)となる[1][2]。
その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京地方裁判所部長、東京控訴院部長を歴任[1][2]。
1924年(大正13年)1月、大審院判事に任じられ、1933年(昭和8年)1月には大審院部長に就任[1][2]。
その間、大正後期から昭和初期にかけて、立教大学商学部(現・経済学部、経営学部)教授を兼任で務めて商法を講じた[4][3]。
1936年(昭和11年)11月に大審院を停年により退職[2]。
親族
[編集]- しけ(妻、明治15年5月生)
- 久夫(長男、明治39年10月生)
- 淑夫(二男、明治43年10月生)
- 文(長女、大正3年11月生)
- いと(二女、大正9年7月生)
- 治夫(三男、大正14年7月生)